ピティナ・指導者ライセンス
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言葉のチカラ(執筆:重野美樹)

指導のいろは
言葉のチカラ

執筆:重野美樹

普段のピアノのレッスンでは、言葉と音、身体を使ってレッスンをしています。その「言葉」の選択と、使うタイミングで、レッスンの空気が大きく変わることがあります。

もちろん音だけでこどもたちに宝物をたくさん伝えられたら最高なのですが、コンサートではない、レッスンの現場だと、どうしても「言葉」の使い方が重要になりますね。レッスンの中で、この「言葉」の選択とタイミングを間違うと、伝えたいことがうまく伝わらず、空気が重くなる、そんな経験はありませんか?私はレッスンでも、子育てでも、何度も苦い経験をし、失敗を繰り返しました。

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寄り添った「言葉がけ」

ある日、ピアノ指導歴のまだ浅い若い先生がお話をしてくれました。

ようやく生徒も増えて、コンクールに挑戦してくれる人も出てきたので、私も課題曲をいろいろ勉強して張り切って教えました。セミナーを受講したり、他の人の演奏を聴いたりして、自分でも練習をしてみて、出来ることを精いっぱいやりました。でも気がついたら、生徒たちがレッスンで結構泣くことが多くなっていて、あまり楽しそうに見えなくなりました。コンクールに出るためのレッスンもしんどいな、と思いました。結果がついてこなかったらなおさらです

わかるなぁ~、と大きく頷きました。私も若い頃は熱血指導で「頑張れば必ずできる」と信じて、夢中でレッスンをしていました。今もその気持ちは変わりませんが、その目的地が「生徒が望む目標」であることを常に頭に置くようにしています。この歳になってわかったことですが、意外にも生徒たちは「コンクールに出る」ことだけで満足している人たちもいて、始めはそのことが信じられませんでした。「出るからにはいい成績を残したい」と思うのが普通の考え方じゃないか、と思い込んでいたからです。

私自身の理想の演奏を追い求めて何度もレッスンをしていると、生徒たちは途中から全くコンクールに出る喜びを感じられなくなり、「もうコンクールはいいかな・・」と言い始めました。「え?自分が出たいって言ったんじゃないの?最後まで頑張ろうよ」と思いましたが、多分途中から「生徒が望むコンクール」ではなくなっていたのでしょう。逆に結果にこだわらず「コンクールに出る」目標を達成したことをしっかり承認して、一つの成功体験として積み重ねると、「次は入賞を目指したい」と言うようになりました。コンクールの結果は「出る」という目標を達成することであり、当落ではないこと、その目標達成に向けて頑張ったことが一番の結果であることを、私もご家族も認めることが、本人の次への意欲にもつながるのだと痛感しました。

「ラーメンが食べてみたい」という生徒に、「同じラーメンを食べるなら本格的な出汁で、麺にもこだわって本物の味を食べないと意味がない」と思って、いきなり行列のできるラーメン屋さんに長時間並んで食べることを勧めているようなものだと思いました。まずはインスタントラーメンでいいので、気軽に、好きなようにゆっくり味わってみることが初めのステップ。もしもラーメンの味が気に入ったのであれば、もっと美味しいもの、もっと違う味のものを食べ比べてみて、そして世の中の人気店のラーメンも食べ比べて・・・という風に、成長には段階があったのに、お月謝を頂いて指導をしている以上、なんとか結果を残さないといけない、という使命感が、焦りを生んだのかもしれません。そんな私の失敗談を若い先生にお話ししました。

やっぱりそうですよね。なんとなく気がついていたんです。レッスンの中で、今まで笑顔で聞き流せていたことが気になり始めて、『もっとここを変化させて』『先週も言ったはずよ』『違う違う』と言うダメ出しの言葉のほうが多くなっていて、その分だけ生徒たちの顔が暗くなっていたんです。でも語気を強くして少し厳しくレッスンしたほうが確実に翌週の演奏は良くなるので、なかなかそのスタイルをやめることが出来ませんでした

それもすごくわかる!そこで、ひとつ質問をしてみました。

誉め言葉、承認の言葉と、アドバイスの言葉、リクエストの言葉はどのくらいの割合ですか?
え~~、そういわれたらほとんど褒めてないかもしれません!褒めるところがない演奏もありますし・・・

わかる!そうなんだよね・・・そこで、「私の経験をシェアさせて下さいね」と、昔話をしました。

一番の理解者

私には娘が2人いて、中学卒業まで2人にピアノを教えていました。後でわかったことですが、長女は褒められて伸びるタイプ、次女は納得して動くタイプでした。長女はあまり自分に自信がなく、コンプレックスを多く感じていました。次女は逆で、自分の自信に見合った承認がもらえなかったり、言われた言葉で気になることがあると思考が停止する、という全く違うタイプ。だから同じようにレッスンをしていても、なかなかうまくいかない。一生懸命あれもこれも、と矢継ぎ早にレッスンしていると、どんどん口調が速くなり、待てなくなり、すぐに出来ないと責めるような口調になってしまう。私に上からあれこれ言われて、どんどんテンションが下がりうまく弾けなくなる長女と、返事もせず腹を立てて固まる次女に、ほとほと手を焼いたものでした。

気を取り直し、言葉使い、口調、表情、色んなことに工夫して、あの手この手でやりましたが、不自然なことをすると、今度は私の方が続かなくなり、疲れて挫折。。。完全に「心から自然と出る言葉」の存在を見失っていました。

自分がこどもの頃、よくピアノのことで母に叱られていて、「ピアノさえなかったら、毎日家の中が楽しいのに・・・」と思っていた経験があり、「スパルタで娘たちを育てたくない」「レッスンは楽しくありたい」と願ってきたのに、その理想の実現が難しく、途方に暮れ、頭を抱えました。悩みに悩んで、娘たちに「お母さんにどうして欲しい?」と聞くと、「黙ってそこに座っていてほしい」と言う驚きの答えが返ってきました。「教えなくてもいいの?」と聞くと「教えてほしい時は頼むからその時まではここに黙って座っていて」と言う。指導もさせてもらえず、黙ったままで、訳の分からない練習(・・と私が勝手に思い込んでいた)を聞き続ける、という過酷でストレスフルなリクエストを実行する羽目になりました。しかし、その地獄だと思っていた時間が、私の目から鱗を落とし、私の口から最初に出る言葉を180度変えることになりました。

私にとって無駄な時間だと思っていた娘たちの練習・・・・当初はその内容が気になって仕方がなかったのですが、何日もたつと、30分が長い、60分がとにかく長いのです。どんな練習内容でも、60分経ったら「よく頑張ったね、ちょっと休憩しない?」と言う言葉が私の口から自然と出るようになりました。私も解放されたい(笑)そして休憩が終わって、また練習室に入る娘に「偉いね~~」と自然に言葉が出る。

娘を何とか動かしたい、出来るようにさせたい、と思っていた時には、その私の思いの方が強くて、目の前にいる娘に対して、何一つねぎらいや承認の言葉をかけてなかったことに気がつきました。一緒に60分を過ごしていないので、ダメなところばかりがクローズアップされていて、部屋に入るなりいきなり本題に入り、どんどん要件をしゃべり出し、最後にはキレる、という最悪のパターン。だから長女は「全然私はダメなんだ」とコンプレックスを積み重ね、次女は「さっきのは良かったのにどうして何も褒めてくれないの?」と思い、その後の言葉は全く聞いてなくて、石のように固まっていたんだな、と思いました。一緒に過ごしていたら、「よく頑張ったね~」から始まり、「また明日も頑張ろうね」で終わるはずの会話が何一つ出来ていませんでした。

生徒さんにはそこまでのことはないにしても、相手を承認する気持ちがあるかないかで、全然言葉の順番が変わってくるんだな、と気づきました。私は生徒さんや娘たちと一緒に成長したい、その成長を喜び合いたい、と思っています。一番の応援団であり、一番の理解者でありたいと思っています。

まずはどんなお声がけをしますか?

どんなに気になることがあっても、どんなに伝えておかないといけないポイントがあっても、まずは「来てくれてありがとう」「弾いてくれてありがとう」「よく頑張りましたね」を心から言えることが大事だと自分に言い聞かせています。

例えばレッスンで、よく頑張って弾いているけど、まだたどたどしい演奏しかできない生徒さんに対して、弾き終えて一番最初に何と声をかけますか?また、本人的には「弾けた」と思っているけど、もっと修正してほしいところがある生徒さんに対してはどうですか?コンクール直前で頑張っている生徒さんに対して、はどうですか?

どの演奏に対しても私が最初にかける言葉は同じです。「よく頑張ったね」「ありがとう」「最後まで弾けたね」全然練習が出来てなくて、スラスラ弾けない生徒さんに対しても。「よく頑張ったね」「ありがとう」「最後まで弾けたね」

そのあとで、「先生から一つリクエストがあるんだけど、言ってもいい?」「ここはどういう風に弾きたかったのかな?しっかり意識できてた?」「一つ提案させてもらってもいい?」「一つ気になることがあったんだけど確認させてね」と話しても全然遅くない。

私が家族にご飯を作るのが好きなのは、毎回「わ~~おいしそう」「ありがとう!いただきまーす」という言葉があるからです。一口食べてすぐに「おいしい!」「これ好き~~」って反応してくれる言葉が嬉しくて「また次も張り切って作るよ!」ってやる気になります。そして食べながら、自分で「もう少し味が濃くてもよかったかも」「次はもう少しこうしてみようかな」と、冷静に自己分析することもできます。

これはピアノのレッスンでも同じなのではないかと思うのです。黙って食べ始めて、何の反応もなかったら、テンションが下がります。ましてや、「ちょっと油っこい」「味が濃い」とかダメだしされると、「私は料理が下手なんだ」と思い、「それなら自分で作ってよ」という気持ちにもなるかもしれません。

私たち指導者は演奏を聴くと、つい反射的に、気になるところにマークがつき、もっと良くなりそうな点を伝えなければいけない任務を感じ、どう伝えたらわかってもらえるかということに神経が集中します。この聞き方は一種の職業病ですね。コンクールの審査をしていても、耳がすぐに問題点、修正点をキャッチするようになっています(笑)生徒さんたちはうまくなるためにレッスンを受けに来ているわけだし、私たちは、決められた時間内でその生徒さんたちの気がついていない部分を指摘して気づかせ、意識が変わり、練習の仕方も変わり、演奏も変わっていくように導いていく、という目標があります。

指導者としての願い

どんなに小さい生徒さんでも、趣味で習っている生徒さんでも、出来ることを増やして、ピアノで自信をつけて、成功体験を積んでほしい、と思っています。

そのためには、相手を心から尊敬する気持ちが不可欠です。言わなくてもわかっているはず、ではなく、言わなければ伝わらないこと。浴びるように承認の言葉や賞賛の言葉をもらっても、同じ数だけまた次の課題をもらうわけですから、承認のシャワーを浴びてもらいましょう。どんな生徒さんも輝くことが出来る、どんな生徒さんもそれぞれに素晴らしい!

たかが「言葉」ですが、されど「言葉」なのです。

重野美樹
しげの みき◎エリザベト音楽大学卒、同専攻科修、元広島音楽高校非常勤講師、バスティン研究会広島代表、一般財団法人生涯学習開発財団認定コーチ、アンサンブル・国際交流委員、広島マカロンステーション代表

指導のいろは
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