個別指導(執筆:中村孝治)
執筆:中村孝治
私は高校生の頃にピアノを始めました。当時柔道部で副キャプテンだった私は楽器経験もゼロ。習ったこともありませんでしたから、当然幼少期のピアノレッスンの経験もゼロ。なのでピアノ指導を始めたころの私は、子供のレッスンのノウハウどころかイメージすら持てていませんでした。まだ実際に指導現場に立ったことのない若い世代の皆さんと比べても、ピアノレッスンというものについて何も分かっていなかっただろうと思います。
そんな私がまず皆さんにお伝えしたいこと、それは「良いレッスンの土台には強い信頼関係が必須」ということです。生徒さんが先生のことを嫌いだったら、あるいは先生に不信感や不安感、恐怖感を抱いていたら…。どんなに指導の内容が正しくても、特に子供はそれを受け取ってくれなくなります。「何を言うかの前に、誰が言うか」が大切です。「先生がそう言うなら」と全幅の信頼をおいてもらえる関係性を築くことが何より重要だとまず意識してもらいたいと思います。
指導において絶対の正解はありません、しかし「正解」はない一方で「誤り」はあると私は思っています。指導において重要なのは「正解」を探すことの前に、まず「誤り」を知り、それを避けることです。それだけで生徒さんや保護者さんとの信頼関係の土台を築くことができるでしょう。ではどのような「誤り」があるのか、思いつく5つをご紹介します。
- 全年齢の生徒さんに通じますが、特に幼児~中学生を想定しています
批判する、叩く、睨む、怒鳴る、罵倒する、などと言った行為で従わせようとする。これは人間関係を構築するうえで最悪で絶対に避けるべき行為です。特に導入期のお子さんにはどう間違ってもそのような関わりはNGです。苦痛を与えるような指導は音楽への楽しさを奪い、先生に怒られないようにすることだけがピアノへのモチベーションとなってしまうでしょう。まれにそんな中でも上手くいく子がいるのは事実ですが、それは恐怖で支配する指導が効果的だったのではありません。単にその子のピアノへの興味が強かったり、レジリエンス(適応力や柔軟性)の高さによるもので、該当するのはせいぜい1~3%程度の子ではないかと思います。
まずは下の図をご覧ください。皆さんはまずどこが気になるでしょうか?おそらくほとんどの方が右下の丸の切れ込みに目を向けるのではないかと思います。
私たち人間は不完全な点にばかり意識を向けやすい生き物です。出来ていないことを改善するのがレッスンですが、改善点ばかりを指摘されるとストレスに感じる子も少なくありません。少しだけでも前回のレッスンから改善したところやその生徒さんの強みだと感じることについても伝えてあげましょう。もちろんお世辞はいらないし、過剰に伝えることはお勧めしません。客観的に聴き、良いところは良いと認めてあげること。その上で改善すべき点を伝えることで相手が受け止めやすくなる状態を作り、指導をより円滑にすることが出来ます。
生徒さんが難しい課題や曲に直面して辛そうな時に、簡単にハードルを下げることは避けましょう。これは「優しさ」ではなく「甘やかし」です。すぐ甘やかす先生のことを、生徒さんは嫌いにはなりませんが信頼もしません。そして保護者さんは先生の基準の低さに不信感を抱くかもしれません。先生側が要求する基準まで生徒さんが上がってこれるようにお手伝いをしましょう。生徒さんは先生が求める基準以上に成長することはありません。「甘やかす」ということは言い換えるなら「生徒さんの可能性に蓋をする」とも言えます。ただし現段階でどうしても乗り越えられず、学習効果が著しく落ちてきた場合には私もあえて課題を次に持ち越すことはあります。その場合には必ず先生としての判断の意図と方向性を生徒さんと保護者さんに説明しています。
言うことがコロコロ変わるような先生は生徒さんを困惑させ、人としても信頼を得にくくなります。前回のレッスンで指示されたことを一生懸命練習したのに、次のレッスンで全く別の指示をされたらみなさんも不信感を抱くと思います。
曲の解釈などはその時々で変わることはあり得ますが、自分の考えが変わり、どうしても指導内容が変わる場合にはその理由や意図をきちんと説明しましょう。また、指導に誤りがあり訂正が必要な場合には素直に謝罪し訂正をしましょう。また、レッスンの過程で段階的に学ぶために意図的に違うアプローチをすることもあるかもしれませんが、その場合にも先生の意図をきちんと伝えて納得してもらいましょう。
ピアノのレッスンは基本的にピアノを教える時間ですが、だからといってそれ以外は一切シャットアウトしてしまうのは大問題です。お月謝をもらう側と指導を受ける側といったビジネス的な面の前に、まずは人と人であることが大事。そうでなければレッスンはお互いにとって作業的で退屈なものになるでしょう。音楽的表現など本質的な部分を伝えるには、先生と生徒さんがお互いに人として理解している必要です。生徒さんを知ること、そして先生という人間を知ってもらうこと、そのためのコミュニケーションを十分に取りましょう。お互いに「よくわからない人」を好きになることはありません。
他にもまだまだありますが、まずは代表例としてこの5つを挙げさせていただきました。さて次の話に進む前に、コミュニケーションにおいて人間関係を破壊する7つのNG行動と人間関係を構築する7つの行動を紹介しておきます。これは私がレッスンのベースとしている選択理論心理学に基づくものです。
左側のの「7つの致命的習慣」を用いると短期的には成果が上がることがあります。しかしこれが長期にわたって使われ続けると、生徒さんは先生嫌い、ピアノ嫌いに向かって一直線になるでしょう。目先のコンクールや発表会という短期目線ではなく、10年20年あるいは生涯という長期的目線になればなるほど、「7つの致命的習慣」が人間関係のみならずピアノを上達させるというピアノ教室の根幹においても効果的ではないことが分かるかと思います。
ここまでは主にコミュニケーションについて触れていきましたが、ここからはレッスン内容についても考えてみましょう。「凡事徹底」という言葉があります。「凡事」、つまり至って普通のことを「徹底」するという言葉で、よく企業が社訓などに用いる言葉です。
日本中の著名な先生方のお話を聴いても私が共通して感じることは、先生方は何か特別な魔法のような指導をしているのではなく「当たり前」のことが「当たり前」になるまで、しつこく、丁寧に、何度も徹底しているということです。それは音符の名前を覚えることひとつから始まり、拍子を感じることやメロディを歌ってみること、そんな「先生にとって当たり前」なことを「生徒さんにとっても当たり前」にしていくには、何度か伝えるくらいでは到底足りません。レッスンの度に生徒さんと保護者さんにも伝えていかなければなりません。一つのことが「当たり前」になるまで、少なくとも100回は同じことを言い続けなければいけないと思うようにしましょう。
以前、他の教室さんから移ってきた子の保護者さんが体験レッスンの際に言っていたことですが、「今の先生はレッスンに行っても悪いところを指摘されるだけで、何も具体的に教えてくれないんです」とのこと。そのような指導を行っている先生方がどれくらいの割合いらっしゃるのかは計りかねますが、これまで教室を移ってこられた生徒さんたちを見ていると、存外多いのかもしれないと感じます。問題点を指摘するだけで、具体的な解決法や自宅での取り組み方について指導してあげなければ、生徒さんも保護者さんも迷子になってしまいます。演奏の良し悪しを判断し、問題点を指摘するだけならそれは指導者ではなく評論家です。必ず問題の解決に切り込み、決して評論家で終わらないようにしましょう。
ピアノレッスン、ビジネス現場での人材育成、または子育てにも共通して使える「育成の4ステップ」というものがあります。まずは下の図を見てください。
縦軸が「アシスト」、横軸が「ヘルプ」となっています。ここでまず先にアシストとヘルプの違いについてお話ししておきましょう。結論から言うとこれは「主体性」の違いです。具体例を出して説明します。
例えばサッカーでアシストという言葉を使いますが、これは最後にゴールを決めるのはアシストされた側であり、「アシストされた側」に主体性があります。一方海で溺れている人がいたとして「助けて!」と叫ぶのを英訳すると"Help me!"となり、決して"Assist me!"とはなりません。もし"Assist me!"と言われたら、まだまだ頑張れば自力で何とか出来そうな印象を受けませんか?"Help me!"だともはやヘルプされる側にはコントロールできることがない状態、つまり「ヘルプする側」に主体性があるということです。
話を戻しますが、指導を行う上で重要なのはアシストとヘルプの割合をうまく調整していくことです。基本的な順番として
①ほぼ100%ヘルプのみの右下「指導」
②ヘルプが多く、アシストが少なめの右上「協働」
③ヘルプを少なく、アシストが多めの左上「支援」
④ほぼ100%アシストのみの左下「委任」
例えば初めて音符の読み方を習ったばかりの4,5歳の子に楽譜を読んでもらうとします。悪い例は①指導(読み方を教える)→④委任(100%自力で読ませる)といった具合にステップをすっ飛ばしてしまうことです。多少でも幼児の導入指導の経験がある方ならお分かりだと思いますが、1度読み方を教えたからといってすんなり自分で読めるようになる子はかなり限られています。4,5歳の子であれば、ステップ①から②に進むだけでも何度も何度も一緒に読んであげたり、ステップ②から①に行ったり来たりしてあげることも必要になります。「当たり前」を「当たり前」に定着させるには少なくとも100回、というのがここでも言えますね。
みなさんは自分が子供の頃のことをどれほど覚えていますか?冒頭で私はピアノを高校から始めたと書きましたが、いざ子供たちの指導に当たるようになってからは驚きの連続でした。「子供ってこんなことも分からないのが普通なの?」ということに日々直面し、今思えば「生徒さんの成長に見合わない困難な要求をしていたな」と後悔で頭を抱えたくなります。しかし子供の精神的、肉体的発達や発達障害について勉強し理解が深まるほど、レッスンで起きる様々な不測の事態や不可解な事態にも慌てることが少なくなってきます。
以前、何年かかっても楽譜を読めるようにならず頭を悩ませていた生徒さんがいました。私も自分の持てる限りの策を講じましたが解決に至らず、匙を投げてしまいたい気持ちでした。そんな時に中島恵美子先生のご著書「知っておきたい幼児の特性」という本に出会ったことで私は活路を見出すことが出来たのです。その時「無知とは恐ろしいな」と実感したことをはっきり覚えています。経験するほか無いという面もありますが、事前対応として子供の発達について少しでも学ぶことをお勧めします。
レッスンをしていると上手くいかないことは日常茶飯事です。先生方は解決のために試行錯誤を重ねますが、それでもなかなか上手くいかないケースもあるでしょう。例えばその主たる理由がどう考えても「家で一切練習に取り組んでいない」とか「レッスンで指示したことを一切やっていない」という時。そんな時に、その原因を生徒さん側に押し付けてしまうのはとても簡単です。しかし、いかなる時も「先生側に責任がある」という考えを持ってください。それは決して自分を責めるということではなく、「自分に何が出来るか」を探すということです。生徒さんのせいにすることは問題の解決を放棄することであり、改善に向けた行動にはつながりません。先ほどの楽譜がなかなか読めなかった子の例もそうですが、解決法が見つかった時には結局「自分の経験不足、勉強不足か」と思い知らされます。
ここまで様々なことを書いてきましたが、読み直してみても実は大したことは書いておりません。至って当たり前のことばかりです。しかしこの「当たり前」が難しいので、私を含め日本中の先生方が日々奮闘しています。これから指導現場に立つ若い世代の方々は、迷ったときには自分の経験だけでなく先輩方の叡智の中から答えを探してみてください。レッスンは子供たちの人生に影響を与える責任重大なものですから、その責任を全うするには私たちは学びを止めてはいけません。「立ち止まることは現状維持ではなく、後退である」と肝に銘じていただきたい、ということで終わりとさせていただきます。