ピティナ・指導者ライセンス
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生徒の評価の意義と方法(執筆:千葉周平)

指導のいろは
生徒の評価の意義と方法

執筆:千葉周平

近頃は日本の優秀な若手ピアニストたちが、世界的にも高い評価を得て話題になっています。つい先日、私もそのようなピアニストの一人をコンサートで聴く機会に恵まれました。大きな国際コンクールで入賞し、メディア上でも高い評価を得ているピアニストでしたので、以前から「ぜひ一度聴いてみたい」という気持ちが高まっていたのです。初めて生演奏を聴くことができましたが、「やはり」素晴らしかったです。そして私は、自分の中に生まれたそのポジティブな「評価」を早速自分の周りの人達にも伝えて、ぜひ聴きに行くようにと勧めました。

上記のエピソードは、最近の私の日常の一コマに過ぎませんが、ある優れた音楽家の演奏が、無数の良い評価の積み重ねの上に、さらに新しい聴衆の耳に届くというプロセスの一例です。これは一つの理想のような形で、教育における評価という観点からみると、少し遠い話のように感じられるかもしれません。それでも、もしピアノを指導されるみなさんの生徒さんが、より多くの人にその演奏を喜ばれ、高い評価を得て活躍の場を広げていくとしたら、それは生徒さん本人にとってはもちろん、ご家族や指導者にとっても本当に喜ばしいことではないでしょうか。
ここでは、普段のレッスンからコンクールなどにおいての、評価することの意義を考えてみたいと思います。

1.教育における評価

評価とは、一般的に「価値を定める」ということを意味します。教育分野に特化していえば、「学習の成果の判断」と言い換えることもできると思います。評価そのものは、学校教育の中でも日々行われているため、ピアノ学習者に限らず、学校でのテストの点や成績に一喜一憂した経験がある方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

みなさんはその時、その結果を受けてどのように考え、次の行動につなげていったでしょうか。しっかり勉強して良い成績を収めることができれば、このやり方で間違っていなかったと確認することができますし、自信を深め、勉強に対するモチベーションをより一層高めることができるかもしれません。その一方で、勉強したのに成果が思うように出なかった、あるいは勉強しなかったために成績が悪ければ、やり方を変える必要があることを知ったり、もっと勉強しなければいけないということに気付いたりすることができます。

このように、教育において評価する時、単に評価することそのものが目的となるだけではなく、生徒がそこに向かって学習を重ね、その段階での学習の成果を確認することにより、学習の進め方を見直すこと、つまりは成長を促すための手段の一つであるという点に大きな意味があると思われます。また、指導する側にとっては、指導法を確認し、見直すきっかけになります。

ではピアノ教育においてはどうでしょうか。当てはめて考えてみると、やはり同じことが言えるのではないかと思います。

評価の一般的な定義「価値を定める」という点からみると、「すべての演奏には価値がある!」という声が聞こえてきそうですし、実際私自身もそうであってほしいと思っています。しかし、ピアノ学習者が今の自身の演奏を見直し、練習方法を工夫して努力を重ねた先には「より良い演奏」というのは確かにあるのではないでしょうか。

2.聴き手はどう感じるか

音楽には、たった一つの正解がある訳ではありません。楽譜に忠実に、誠意を持って解釈したとしても、みんな違う演奏になります。そしてそれを聴き手はどう感じるか――当然聴き手の側も感じ方はそれぞれです。それが興味深いところであるのと同時に、自分の演奏がどのように受け取られるのか、演奏者にとっては心を悩ますこともあるかと思います。

ここで、冒頭のエピソードで登場した、ある素晴らしい若手ピアニストの話を今一度思い出していただきたいと思います。改めて気付くのは、ある「素晴らしいピアニスト」に「素晴らしい」という評価を与えているのは、ピアニスト本人ではなく聴き手だということです。

もちろんピアノを演奏する人自身も、自分の演奏に対して評価するということを、日々の練習の中で無意識のうちに行っていると思います。しかし、もし仮に「私の演奏は素晴らしい」と信じて疑わず、聴き手に誰一人「素晴らしい」と感じてくれる人がいないとしたら・・・そしてそれに気付かず知らないままでいるとしたら、それはとても悲しいことではないでしょうか。もちろん指導者の立場からしても、大切な生徒にそのようになって欲しいとは思わないでしょう。

誰しもが、できるならば独りよがりでなく、自分の信じる演奏が「聴き手を喜ばせるような演奏」であればと願うはずです。そのような演奏のためにはやはり、ピアノ学習者は「人に聴いてもらい、評価してもらう」ことを通して、聴き手が自分の演奏に対してどう感じるのかということを知る必要があります。

そこから、自分では気付かなかったような課題に気が付けばそれを改善したり、褒められたところがあればそこは自信を得るなどし、新たなモチベーションに繋げていくことが大切だと思います。その過程を通して、段々と「客観的な視点を持つ」ようになり、やがては自分自身を適切に評価できるようになっていくことが、ピアノ教育において評価することの大切な目的の一つではないかと思います。ピアノ学習者にとっては、一番身近で評価してくれる先生、ピティナ・ピアノコンペティションなどをはじめとする、各種コンクールが評価する軸となっていきます。

3.レッスンにおける評価

ピアノ指導において、指導者の存在が重要だと思われる理由の一つに、ピアノ学習者にとって「自分で課題に気付くことが難しい」という点が挙げられると思います。ピアノを学ばれた方ならご存知のとおり、自身のピアノ演奏を「聴く」ことは、恐ろしいことに本人が一番難しいのです。

複雑な楽譜を先へ先へと読みながら、指や関連する筋肉を複雑に動かし、音を聴いて反応し、また新しい音を生み出していく・・・非常に複雑で難しい作業をしながらですから当然ですし、初歩の学習者にとってはなおさらです。また、演奏者本人は、自身の演奏を離れた場所で、客席で聴くということも叶いません。

そのため、ピアノ指導者は生徒の第2の耳になり、適切に評価することを通して生徒の気付きをサポートし、自立へと導いていくことが大切だと思います。

エピソード

ここで少し、つい先日私の教室のレッスンであった出来事をお話ししたいと思います。

ピアノを習い始めて一月も経たない年中の男の子が、「早く新しい教材に進みたくて仕方がない」という様子で、与えられた宿題よりはるかに多く、教材を丸ごと1冊練習してきました。とても嬉しそうに「一冊全部やってきた!」と言うので、私も一緒になって喜び、そのことをとても高く評価しました。

しかしいざ全て聴いてみると、そのうちの2曲は弾きなおす箇所があり、まだ「弾けた」とは言い難いというものがありました。まだピアノを習い始めて間もないので当然のことです。その子の頑張りを認めて、ここで「よくやってきたね」と褒めて合格にしてしまいたい気持ちもありましたが、「これくらいでいいや」という気持ちを植え付けることになってしまうのは良くないと思い、もう少し続けて練習させることにしました。その子へ、そこで初めて「よくできました」という評価ではなく、「まだちゃんと弾けていません」という評価を与えました。本人は悔しくて、何度もその場で挑戦しようとしましたが、やはりうまくいきません。次第に目には涙が溢れていきました。

早く終えることばかりでなく、じっくり時間をかけて練習することの大切さを、丁寧に優しく説明したつもりでしたが、年中の子にはまだ理解が難しかったようです。本人はどうしてもその日に教材を一冊まるごと終えたかったようで、やがて大泣きして梃子でも動かなくなってしまい、お母さんに引きずられるようにして帰っていきました。後にも先にも、あそこまでの大泣きを目の当たりにすることは無いかもしれないというくらいの大泣きでした・・・

その後、お母さんからも繰り返し丁寧に本人に伝えてもらったようで、次のレッスンでは、お母さんとその子が一緒に「早く進めるより、たくさん練習して丁寧に弾く!」と呪文を唱えることから始まりました。先週のレッスンで不安定だったところが見事に改善されて、「ほら、先週よりずっと上手に弾けるね!もう1週間しっかり練習して良かったでしょう?」と話すと、本人もとても嬉しそうに頷いていました。私もこれでよかったと確認できましたし、本人にとっては最初の大切な気付きになったことと思います。

生徒の大泣きを目の当たりにし、もちろん私自身も戸惑いが無かった訳ではありません。できればかわいい生徒を傷付けたくはありませんし、あの場で「よく弾けているね!」と褒めることの方が簡単だったと思います。しかし、生徒がピアノ教室の先生と二人きりの閉ざされた世界で「上手に弾けている」と思い込んでいて、いざ外の世界で、人前で弾く機会があった時に、ピアノを習っているにもかかわらず「下手」だと思われてしまうとしたら、それはもっとかわいそうなことではないかと思っています。

そうは言っても、レッスンにおいて、特にピアノを習い始めたばかりの小さな子に、いきなり世界最高レベルの演奏を求めるわけではないと思いますし、実際不可能だと思います。
大切なのは、生徒の「変化」を見て評価することではないかと思います。練習を工夫したり努力して、以前できなかったことが ―― まだ完全ではないとしても ―― できるようになれば褒めてあげるチャンスでしょうし、逆もまた然りです。

4.第三者からの評価

ピティナ・ピアノコンペティションなどにおける、生徒が第三者から受ける評価は、生徒本人が演奏を見直すだけでなく、指導者が自身の指導を見直す機会にもなります。以前コンペティションの審査でご一緒させていただいたある先生が、こんな話をしてくださいました。

私の生徒たちは、コンペを受けるといつも拍感が良くないと講評に書かれていました。だから、何とか次こそは拍感のことを書かれないようにと一生懸命頑張って、ようやく拍感のことを書かれなくなったんです!

先生が嬉しそうに話してくださったのがとても印象に残っています。これは、第三者からの評価をもとに演奏や指導を見直し、生徒も先生も一緒になって努力して課題を改善した素晴らしい例ではないでしょうか。

人前で演奏することは、たくさんの気付きがあり、それだけでとても大きな勉強になるものです。そして、演奏を聴いてくれた人の内には、その演奏に対する評価が生まれます。しかし実際のところ、聴いた人が感じたとおり思ったとおりに、はっきりと演奏者に課題を言うのは難しいかもしれません。良いことは伝え、悪いことは伝えにくいということもあるのではないかと思います。その点、コンペティションやピティナ・ピアノステップでは、各地の先生方から、手書きの講評やアドバイスという形で直接メッセージがもらえますので、生徒にとっても指導者にとっても、何か大切なことに気付くきっかけになるかもしれません。

生徒が良い評価をもらえれば、生徒と一緒になって喜んでいただきたいですし、一生懸命努力したのに良い評価をもらえないとしたら、練習や指導の軌道修正をする必要があるのかもしれません。

音楽の性質上、評価されたことが必ずしも絶対的なものとは言えませんが、もし仮に複数の先生に同じような内容を指摘されることがあるとすれば、やはり演奏がそのような傾向にあると考えることができます。また、何か納得できて改善すべきだと思えることがあれば、その後の練習や指導において意識的に取り組むなど、コンクールの採点票やステップの講評用紙をぜひ有効的に活用していただければと思います。

余談ですが、私が留学していた欧州では、学生同士が演奏を聴かせ合って討論したりすることが、当初私が学んでいた日本の環境よりも自然に行われているように感じられました。時には友人から、譜読みして間もないような状態でも「聴いてほしい」と言われ意見を求められるので、それがとても新鮮でした。しかしそれも「聴き手がどう感じるのか知りたい」、「気付くべきことを知らないままでいるのを避ける」ためだとすれば、早い段階で意見を求めるというのも理にかなっているのかもしれません。

おわりに

私が評価する立場に立つ際、レッスンにおいてはもちろんのこと、コンペティションや課題曲チャレンジの審査、ステップのアドバイザーを務めさせていただく時にも大切にしていることは、できる限り「相手の立場に立って言葉を選ぶ」ということです。仮に同じことを伝えるにしても、言葉の選び方、伝え方が違えば、相手にどう響くかは大きく変わってくると思います。

例えば、ステップの現場では、小さな子たちが初めてのステージを経験する、というような場面もたくさん目の当たりにします。大勢の知らない人たちの前で、広いステージ上で巨大な楽器の前に一人ポツンと座り、人生で初めての演奏を始めます。こういう背景を踏まえると、演奏の内容以前に、その子にとってはステージに立ったという事だけでもう全力で頑張った、ということになるかもしれません。そういった相手の心の中を想像しながら、より良い伝え方ができればと思っています。相手のことを本当に理解することはできませんが、「相手の立場に立って考える」「考えようとする」ことなら、誰にでも今すぐに始められます。

このように、「相手はどう受け取るだろう」と考えることは、音楽を演奏する時も、指導において言葉を選ぶ時も、似ているのかもしれません。音楽がそうであるように、指導にもたった一つの正解があるわけではありません。そのときの自分にできる精一杯を尽くしながら、試行錯誤を繰り返しながら、生徒と一緒に自分も成長していきたいと思っています。

千葉 周平
ちば しゅうへい◎名古屋芸術大学卒業。ハンガリー国立リスト音楽院留学。ドイツ国立シュトゥットガルト音楽大学大学院修士課程修了。全日本ピアノ指導者協会正会員。ピティナ・ピアノステップアドバイザー。ピティナ・ピアノコンペティション、ブルグミュラーコンクール、日本バッハコンクール等において審査員を務める。ピティナ新人指導者賞ならびに指導者賞、べーテン音楽コンクール優秀指導者賞、ブルグミュラー・レッスン賞受賞。くりんくらん音楽教室特別講師。東海中学校・高等学校非常勤講師を経て、現在岐阜聖徳学園大学短期大学部ならびに修文大学短期大学部非常勤講師。

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