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心を救った師の名言(執筆:三宮麻由子)

指導のいろは
心を救った師の名言

執筆:三宮麻由子

間違えてもいい

「間違えてもいいのよ、とにかく弾いてごらんなさい」

これが、最初に恩師となった先生が第一回目のレッスンでかけてくださった言葉である。

幼いころ、私は音楽のセンスが少しだけあったようで、ピアノに向かう体力がつく前から聞き覚えた歌謡曲を弾いたり、思いついた歌を簡単な弾き語りで歌ったりしていた。本格的に習い始めると、一度聞いた旋律はかなりの精度で再現できたし、転調やアレンジも苦にならずにできた。そのため先生が喜んでしまい、私にできる以上の期待をぶつけてくるようになった。能力を認めてもらえたのはありがたいが、光を失った衝撃から全く立ち直れておらず、病弱で心も弱かった当時の私にはまだ、先生と同じ「欲」がなかった。そのため、先生が励ませば励ますほどレッスンがストレスとなり、プレッシャーとなり、どんどん耐えられなくなっていった。母はしばしの休止を決断し、「お休み」の期間を取った。

先生は叱る存在?

しかし、1年経たないうちに、私がある日ポツリと、「やっぱりピアノやりたい」と言ったという。はっきりした記憶はないのだが、レッスンとは別の次元で、私はピアノが好きだったのだろう。

そんな経緯で出会ったのが、ピアノ教室「ソルフェージュ・スクール」の恩師だった。ロベール・カサドシュの愛弟子として長年フランスで研鑽を積まれた恩師は、気品とオーラに圧倒されそうに素敵な先生だった。

そんな先生との初めてのレッスン。曲として味わう以前にミスタッチゼロになるまで同じ曲をひたすら繰り返させられていたそれまでのストレスから、私はピアノ再開宣言をしておきながら、間違えることへの恐怖からなかなか弾き始めることができなかった。それを見て、先生は優しく「間違えてもいいから」と話しかけてくださったのである。

「間違えてもいい?」

先生の言葉を心中で反復しながら、その意味が入ってこなかった。間違えたらまた叱られるに違いないのだから。

「大丈夫よ、手の力を抜いて、間違えてもいいから、ピアノの音をよく聞いて弾いてごらんなさい」

恐る恐る過去に習った曲を弾いてみる。やはり、あの難所で間違える。ピタリと手が止まって体が固まる。

「いいのよ、そうそう、よく弾けてますよ。続きをお弾きなさい」

私の祖母くらいのお年だろうか。年配ながらもお嬢様言葉で静かに語り掛け続けてくださる。

「ゆっくり、ゆっくりお勉強なさいね。先生も一緒にお勉強しますから。音楽は楽しくなければね。先生と一緒に楽しくお勉強しましょうね」

繰り返される「お勉強」という言葉が、なぜだかいやではなかった。間違えても「次にできるようにがんばりましょう」と励ましてくださる。この先生は、こんな駄目な私を叱らないのだろうか。一緒にお勉強って、先生なのにお勉強するのだろうか。芸術は永遠に未完成と言われるが、当時の私には、先生はできない生徒を叱る存在であって、自分と同じように「お勉強」するなんて考えもしなかった。もちろん、レッスンのときに口を聞くなどあり得ない。分からなくても質問などできない。分からない私が駄目なのだから。優しい先生のレッスンでも、私はあまり言葉を発せず、ひたすら教わったことを再現できるまで反復練習ばかりしていた。

しかし数年習ううちに、私の心は少しずつ開かれ、恩師にだけは素の状態を見せられるようになった。熱心なクリスチャンだった先生は、「神様はあなたのことをちゃんと見ていらっしゃるわよ」と毎回励ましてくださった。無宗教の家庭に育った私には「神様」の存在があまりピンとこなかったが、先生が言われるのだからきっとそうなのだろうと信じていた。いま思えば、先生は私の心の状態を保護者のように理解し、ピアノを通じて癒すことを優先してくださったのではないかと思う。私のピアノ好きはおそらくすぐに分かったので、技術は心が快復すればついてくる、と考えておられたのだろう。直接うかがう機会はなかったが、私自身が教壇に立ったり講演したりする立場になったいま、先生のお気持ちはきっとそうだったのだろうとかなり強く確信している。

自分で「角度」を探す

もちろん、「間違えてもいい」とはいえ、いつまでも間違えていいわけではないことは、先生に言われるまでもなく分かっていた。何とか間違えないように、そして先生のおっしゃるところの「音楽になっている」曲を奏でられるよう、私は誰に言われなくても「弾いたり聞いたり」に邁進した。結局、この恩師が引退された後も何人かの先生に出会い、現在までレッスンを受けている。

そして、現在師事しているパリ国立音楽院教授の上田晴子先生は、私の人生に明るく強い光を灯す恩師となってくださっている。

上田先生が最初のレッスンでくださった名言は、「あなたの体に合った角度を、自分で探してね」であった。

演奏家として世界的に活躍され、名門音楽院の名教授と尊敬されている先生に初めてレッスンしていただいたのは、リストの「ラ・カンパネラ」だった。恐々弾いて最後の一音から手を放したら、先生は一瞬の沈黙の後、「よくぞここまで」と深い感嘆の溜息をついてくださった。私はあまりの嬉しさに息を呑んだ。こうして始まった先生とのレッスンは、感動と大発見の連続で、文字通り息つく暇もなかった。「自分で角度を探して良い」とのお言葉は、私を大海に勢いよく漕ぎ出させてくれた。

それまでは、教わった角度を再現することだけを考えていた。それさえできれば間違えなくなり、音もよくなり、表現もできるようになると思い込んでいた。とにかく再現、再現、また再現の練習だった。

ところが上田先生は、レッスンの再現ではなく、レッスンで示されたゴールに向けて「自分に合った」角度を「自分で」探して良いとおっしゃったのである。自分で探したら自己流になってしまうのではないかと心配にもなるのだが、なるほど、やってみるとそうでもなさそうなのだ。ある程度基礎ができていれば、そこを外れずに自由に角度を実験できるらしい。私は、椅子の高さや鍵盤との距離から見直し、姿勢、手の角度、手首の使い方、ペダルの踏みかえや音の減衰、ハンマーに力を伝える支点、力点、作用点を徹底的に実験した。安定するまでには時間がかかるが、一度安定するとそれまでとは比較にならない確率で弾けるようになった。すると、黙っていても表情がついてきて、心から溢れるものが表現され、形になってくるのだった。

レッスンでの導きによって壁を超える

よく「あなたにしかできない音楽を作りなさい」と教えられるが、それは結果にすぎないことが分かってきた。頭脳や想像力を駆使して「麻由子にしかできない」音楽を考え出すことはもちろん必須ではあるのだが、自分の角度が見つかると、それよりもずっと高い比率で自然に心の声がピアノに反映され、曲がまとまってくるからだ。あたかも、バラバラの米粒が手の中でまとまり、あるところからしっかりとつながっておにぎりになるかのように。おにぎりになって初めて、中の具や味付けに当たる「麻由子ワールド」を練り上げていく。だが考えてみれば、音楽は一人に1つ存在するわけで、無理にうがった解釈で「私らしい」音楽をひねり出す必要はないともいえまいか。それよりも、心の叫びが自然に音楽のおにぎりに育っていくほうが、ずっと安定した、弾き手の心に忠実な曲想になっていくのではないかと思える。心が育ち、想像力や実験方法が充実してくれば、おのずと「私にしかできない」音楽が生まれてくるのではないだろうか。

レッスンで教わったことが再現できるだけでは、ほかの曲に応用したときに成果が出る確率があまり高くない。先生と私では手の大きさも体の造りも違うので、一つの方法で全てをクリアすることはできないのである。しかし、その自由を生徒に許すのには自己流になるリスクがある。レッスンはそのせめぎ合いなのかもしれない。

それでも、勇気を出してみると状況が変わる。レッスンで「この動き」と示されたゴールに向かって自分で見つけた角度が分かると、成功率が何倍も上がり、信じられない効率で定着するのだ。弱点として諦めていた音質や技術までが一瞬で克服されたりもする。私の実力ではここまでだろうと思い込んでいた壁が見る間になくなって、大空と広い大地が目の前に広がるかのようである。

幸せに学びを深める

上田先生が毎回のレッスンで授けてくださる言葉は、どれもこれからの人生全般にさえ適用できるほどの名言である。その一言一言が私の音楽を開き、表情を引き出し、未来への光を与えてくれている。「自分で探していいのだ」という一言は、レッスンの再現ではなく私の演奏を試みても良いという許可となった。この許可は、ピアノにおいても日々の生き方においても、目の前の岩盤をハラリと取り去ってくれる救いの一言ともなった。

ピアノは「先生」よりも「師」の様相が大きい。師は技術だけでなく、生き方の先生でもあるだろう。恩師となる先生は、人生の師として言葉を授け、生き方を自ら示して導いてくださる。気の利いた言葉を無理に探す必要はないが、「生徒と先生」よりも「師と弟子」という濃密な絆によってレッスンの時間がなりたっていることを意識して教えていただけたら、生徒は幸せに学びを深められる。私は恩師の言葉から、そう確信したのだった。

三宮麻由子
エッセイスト。東京都生まれ。上智大学フランス文学科卒業。同大学院博士前期課程修了、修士号取得。外資系通信社で報道翻訳とともにエッセイ執筆。4歳で失明。高校時代に日本初の全盲単身一般校留学生として米国に留学。著書、「鳥が教えてくれた空(日本放送出版協会(現在は集英社文庫に収録)1998年9月)」で第二回NHK学園「自分史文学賞」大賞受賞。「そっと耳を澄ませば」(日本放送出版協会、現在は集英社文庫に収録)2000年2月)で、第49回日本エッセイストクラブ賞受賞他受賞多数。失明直後からピアノを学習。現在は上田晴子パリ国立音楽院教授に師事。講演とともに演奏活動も。新井満氏との合作曲「この町で」は多くのアーチストがカバー。

<近著>
  • フランツ・リスト 深音の伝道師(アルテスパブリッシング 2022年)
  • センス・オブ・何だあ? 感じて育つ(福音館書店 2022年)
  • 世界でただ一つの読書 集英社文庫 2018年
  • 四季を詠む 365日の体感 集英社文庫 2020年
絵本に
  • 「おいしい おと」 福音館書店、2008年
  • 「でんしゃはうたう」 同2009年
  • 「おでこにぴつっ」 福音館書店「ちいさなかがくのとも」2006年6月号
  • 「かぜ フーホッホ」 同2007年11月号、後に代理店向けハードカバー
  • 「ウグイスホケキョ」 同2010年3月号
  • 「そうっと そうっと さわって みたの」 同2014年3月号
  • 「バスはっしゃしまあす」 同2016年1月号、2022年度ライブラリ収録
  • 「どうぶつえんで きこえてきたよ」 同2022年5月号
ほか共著多数

指導のいろは
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