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「やめてしまった」と言わせないレッスンを・・・受け手の視点を見直して(執筆:三宮麻由子)

指導のいろは
「やめてしまった」と言わせないレッスンを・・・受け手の視点を見直して

執筆:三宮麻由子

ピアノは『やめてしまった』感を覚えがち?

フランスの作家さん・テグジュペリの名作「星の王子様」の有名な一説の通り、全ての大人は昔子どもだった。そして、全てのピアノの先生は、昔はレッスンを受ける子どもだった。

先生になるくらいだから、きっと苦労を乗り越えながらもピアノへの思いを貫いてこられたことだろう。昨今は、趣味といっても仕事レベルの演奏活動をする人も増えていて、いわゆるプロとの垣根が微妙な領域が広がりつつある印象だ。音大を出てコンクールで入賞して演奏や指導活動を中心に行うという昔ながらの意味での「プロ」ではなく、趣味よりは本格的なレベルでピアノを弾いている人もそれぞれに苦労を乗り越えているだろう。

一方で、ピアノのレッスン受講をやめた人は、継続している人よりはるかに多いだろう。しかも「ピアノをやめた」ということに後悔の念を持ち続けている人が多い気がする。
「ピアノより好きなものを見つけた」とか「受験勉強が始まった」など、理由は前向きであっても、「才能がないから」など本人にとって残念な理由で止めた人と同様、ある種の罪悪感のような感情を持っているようにも見える。先生が厳しすぎて耐えられなかったという人ですら、体罰や暴言のような明かな人権侵害があった場合でも、その「修行に負けた自分が不甲斐ない」とどこかで思っていることが多々ある。

たとえば、英語が苦手で語学教室を短期間で止めたとか、数学が苦手で塾のコースを変更したとか、あるいはスポーツクラブに所属したが進学を期に退会したといったケースでは、これほどのマイナス感情は残らないのではなかろうか。ではなぜ、ピアノではそんなに「やめてしまった」感にさいなまれる人が多いのだろう。

私自身も、数々の恩師に恵まれてかれこれ半世紀以上レッスンを受け続けている幸せ者ではあるが、長く学んだ分、先生とのコミュニケーションの難しさや人生の各段階での心理状況など、様々な経験をしてきた。しかし、正当なきっかけで先生を離れることにも、レッスンをしばらく休むことにも、罪悪感を抱くことはなかった。レッスンを超えてピアノが好きだったからだとは思うのだが、それにしても、受講を止めるのが「悪い」と感じてしまう原因はどこにあるのかと、ずっと考えていた。

音楽が人々の心を開いた

私は四歳のとき、目の手術のため光を失った。この状況を、私はありのままに「シーンレス」(風景がないという意味の創作英語)で表現している。目の前に風景がないために不便ではあるが、様々な方法で風景を把握して取り戻し、「シーンフル」(風景がいっぱい)な状況になることができたので、いまの状態をニュートラルに伝えたいからだ。
一瞬でシーンレスに生まれ変わり、放心していた私に初めて「楽しい」という気持ちを思い出させてくれたのが、ピアノだった。それから現在まで、ピアノは生活の一部であり、体の一部であり、魂の友達だ。仕事には音楽でなく語学を選んだけれど、ピアノを弾かない暮らしを想像できないほど、ピアノの練習は日常だ。受験勉強や留学などでレッスン受講を一時休止しても、弾くのを止めることは一度も頭を過らなかった。レッスンは無論学びに不可欠だが、レッスンがあってもなくても一人で練習することもまた、私には自然な日常だからだ。

どんな名門校の学生でも、いつかはレッスンを離れて自立する。そんなレベルの世界でなくても、ある程度の基礎ができていれば、一定の自立はできると思っている。一生涯同じ師匠に習うことができない以上、長く学ぶには自立の覚悟を持つしかないからだ。それでも機会があれば積極的にレッスンを受けて研鑽を積むというのが、私のピアノとの関わり方となっている。幸い素晴らしい恩師に恵まれ、先にも書いた通りいまもレッスンを受け続けている。

ところで、私は現在、外資系の大手通信社の会社員として英語の経済ニュースを日本語に翻訳する仕事をする一方で、エッセイストとして執筆や講演活動をしている。その中で、ピアノを演奏する機会も増えてきた。すると、演奏家への礼儀としての賛辞の類を別として、演奏後の感想が大変興味深いことに気が付いた。
多くは、ハンディを乗り越えて学ぶこと、演奏することへの敬意で、これは素直に嬉しい。現実に、楽譜を自由に読めないために点字に直していただくなど事務的に煩雑なことが多い。何よりも、演奏者の指や姿勢を見ることができないままに学ぶには、見えている人と違う困難があるからだ。

しかし、そうした最初の感想が一通り述べられると、やがてハンディの垣根が消え、音楽を通じた純粋なコミュニケーションが始まる。心を込めて弾いた曲に涙する人がいたり、演奏直後に女子中学生が楽屋を訪ねてきて悩みを話し始め、ついに泣き出したりする。私の努力ではなく、音楽が人々の心を開いた瞬間である。

ピアノが『ものになる』とは?

一番考えさせられるのは、子どもにピアノを習わせた大人たちの感想だ。

ある講演でフランツ・リストの「ラ・カンパネラ」を弾いたとき、主催責任者の男性がこう言った。
「娘もピアノをやってましてね。音大を出て、いまは演奏活動をしてます。ちゃんとものになったんですよ」
これを聞いて、「止めてしまう」の謎が解けた気がした。

保護者の心にときとして、「この子に才能があればものになるかも」という期待があるのではなかろうか。子どもはそんな大人の期待を敏感に受け止め、応えようとする。先生は先生で、生徒に少しでも上手になってもらおうと懸命に教え込む。見どころのある子には特に、思うように上達しないと苛立ちが生まれ、ときには厳しい態度を取ってしまったりもするだろう。子どもは先生の指導意欲と親の期待に挟まれて、必死にピアノに向かうことになる。そして、それぞれのきっかけで止めたとき、「自分は期待に応える能力がなかった」と一種の自己否定をしてしまうのかもしれない。これが、「やめてしまった」の原因の一つのではないか・・・。

だが考えてみよう。ピアノは「ものになる」必要のある習い事なのだろうか。

私は物心ついたときから英語や言葉が大好きで、小学校に進学したころから外国留学すると決めていた。語学を仕事に選ぶことを無意識に決めていたともいえる。ただ、ピアニストになる夢もうっすら持っており、音大進学を勧めてくれた先生も何人かいたため、後年はどちらか一つしか選べないことに葛藤をおぼえる時期もあった。結局は語学の道に進んだのだが、蓋を開けてみれば音楽も続けているし、ちょっとだけ夢見た演奏活動も、地味ながらできるようになった。ステレオタイプとは違う形ながらも、夢は全て叶ったのである。

では、ピアノは「ものになったか」といえば、「イエス」でも「ノー」でもあるだろう。「イエス」の部分は、曲がりなりにも音楽についてある程度学びを続け、ときには人に聴いてもらえる機会があること。「ノー」の部分はもちろん、演奏のみの活動に耐えうる力はないということだ。しかし私は、「ものになったか」という質問自体、問う価値はないとも思っている。自己実現できたかどうかの答えは、自身の中にしかないからだ。

娘自慢として「うちの子はものになった」と胸を張ったお父さんの気持ちは理解できる。一方、そう言われた娘さんのほうは、実現を支えてくれたご両親に感謝しているだろうが、「私はものになったから偉いのよ」と感じているとは思えない。むしろ、「自己実現できて良かった」と感じているだろう。「ものになる」という目標は、実力が蓄積された結果として期待できるレベルになったとき、初めて現れるものではあるまいか。

才能があると分かっていてレッスンに入る少数の子ども以外、ピアノは豊かな経験の一つとして学ばれることが大半だと思う。その時点で「ものになる」かどうかは、誰にも分らない。ある少年は、中学生になるまでピアノを触ったこともなかったが、レッスンをきっかけに資質が開花し、ロシアの大学院に進んだ。幼少時に始めるのがカギとされるピアノの世界ではちょっと特殊な例かもしれない。しかし、中学生の彼がピアノに出会ったとき、どのくらいの人がそこまで行くと思っただろうか。

『良いレッスン』とは何か

私は音大に進まずしてピアノと関わり続けているわけだが、こんなに続けられるかどうかを考えてはいなかった。だが気が付けばピアノは、ライフワークとして楽しく研鑽を積める存在になっていた。弾いて、聴いて、学んでいくうちに、曲の向こうにある風景が脳裏に浮かび、文字通りピアノを通しての「シーンフル」もたくさん経験できている。それだけで幸福だ。レッスンの結果はこんなふうに、神のみぞ知るような形で現れるのだ。

だから先生方には、生徒の年齢を問わず、レッスンは技術だけでなく「心のレッスン」でもあることを忘れないでほしい。特に子どもの場合、「やめてしまった」とトラウマを残してやめるのではなく、長年離れていても、いつの日か喜んで再開できるやめ方ができるレッスンをしてほしい。先生自身が子どもだったことを思い出しながら。

そして保護者には、子どもの資質と気持ちを見失わないでほしい。適切と判断したなら、子どもをピアノから放すことをためらわないでほしい。もしも子どもに理不尽なストレスをかける先生がいたら、どんな名門の先生でも「こちらから破門」してしまって良いと思う。私も数々の先生と出会い、離れる経験を経て、真の恩師と出会ってきたから、確信を持ってこう言える。

生徒の心を開き、希望を与え、選んだ道に確信を持って進める自己肯定ができる機会を作れるレッスンこそが、「良いレッスン」だと思う。

第二回(「心に残るレッスン体験」)へつづく

三宮麻由子
エッセイスト。東京都生まれ。上智大学フランス文学科卒業。同大学院博士前期課程修了、修士号取得。外資系通信社で報道翻訳とともにエッセイ執筆。4歳で失明。高校時代に日本初の全盲単身一般校留学生として米国に留学。著書、「鳥が教えてくれた空(日本放送出版協会(現在は集英社文庫に収録)1998年9月)」で第二回NHK学園「自分史文学賞」大賞受賞。「そっと耳を澄ませば」(日本放送出版協会、現在は集英社文庫に収録)2000年2月)で、第49回日本エッセイストクラブ賞受賞他受賞多数。失明直後からピアノを学習。現在は上田晴子パリ国立音楽院教授に師事。講演とともに演奏活動も。新井満氏との合作曲「この町で」は多くのアーチストがカバー。

<近著>
  • フランツ・リスト 深音の伝道師(アルテスパブリッシング 2022年)
  • センス・オブ・何だあ? 感じて育つ(福音館書店 2022年)
  • 世界でただ一つの読書 集英社文庫 2018年
  • 四季を詠む 365日の体感 集英社文庫 2020年
絵本に
  • 「おいしい おと」 福音館書店、2008年
  • 「でんしゃはうたう」 同2009年
  • 「おでこにぴつっ」 福音館書店「ちいさなかがくのとも」2006年6月号
  • 「かぜ フーホッホ」 同2007年11月号、後に代理店向けハードカバー
  • 「ウグイスホケキョ」 同2010年3月号
  • 「そうっと そうっと さわって みたの」 同2014年3月号
  • 「バスはっしゃしまあす」 同2016年1月号、2022年度ライブラリ収録
  • 「どうぶつえんで きこえてきたよ」 同2022年5月号
ほか共著多数

指導のいろは
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