レッスンにおける先生と生徒のコミュニケーション(執筆:西本夏生)
執筆:西本夏生
ピアノのレッスンは、生徒と先生が1対1で30~60分を共にするという、世の中の数ある習い事の中でもちょっと変わった形態をとります。
ピアノの指導者になった人で、ピアノのレッスンを受けたことがない人はほとんどいないと思いますので、私たち指導者は、私たち自身もこのような特殊な形態を「ふつう」だと思ってレッスンを受け、育てられてきた経緯を持ちます。
もちろんピアノだけでなく、他の楽器でもレッスンはこのような形態をとることが一般的ですが、他の習い事だとあまりこのような形態を取ることは少ないですよね。野球、サッカー、スイミング、ダンス...スポーツ系は、もちろんコーチから個人的な指導を受けることはあるかもしれないけど、基本的には集団での指導です。塾も完全なる個別指導や家庭教師を除けば、同じ教室の中に他にも人がいることの方が多いです。
こうした特徴を持つピアノのレッスンでは、前述したとおり、生徒と先生が少なくとも30分、長い時では60分や90分もの間、1対1の時間が続きます。しかも、途中で引っ越しや進学などない限り、または自分から望まない限りは同じ先生にずっと習い続けることも多く、長いときでは20年以上ピアノを介して人生を共にすることも少なくありません。この状況から、ピアノの先生が生徒さんに与える影響は、良くも悪くもとても大きいものがあることは否定できない事実だと言えます。
私は、これまでピアノに長年携わってきた中で、色んな人に「ピアノ、続けてたらよかったなぁ~って今になったら思うんだよ。」と言われたことがあります。そして「どうしてやめちゃったの?」と聞くと「ピアノを弾くの自体は好きだったけど、レッスンが嫌いだった。」と言われることも多く、その度に勝手に胸を痛めています。自分のところに習いにきてくれる生徒さんの親御さんからも「過去に自分が"厳しく"教えられていやだったので、自分の子供には"楽しく"ピアノを習ってほしいと思って先生のところに連れてきました」と、レッスンをスタートするときに切実に訴えられることもあります。それも、少ない回数ではありません。その度に私も、"楽しい"レッスンとは何か?を真剣に考えてきました。
- レッスンが嫌いだった
- "厳しく"教えられて嫌だった
- "楽しく"習ってほしい
教えている私たちも、ピアノを嫌いになって欲しくて教えているわけじゃないのに、レッスンに対してどうしてこのような感想やイメージを持つ人が世の中に少なくない数生まれてしまうのでしょうか。
ここでは、この問題について、取り扱っている楽曲や教え方などの音楽的な観点からではなく、レッスンをする上で大事な要素の1つである「人同士の1対1のコミュニケーション」の観点から、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
YouTubeメンバーシップでの閲覧はこちら「ピアニストにしたいわけじゃないのに厳しい指導をされる」「指遣いがどうとかうるさい」「練習曲ばっかりやってなんになるんだ」みたいなことを言われがちなピアノの先生ですが、先生の側からすれば「こっちも先々のためにもよかれと思っているのに、わかってもらえない...(しゅん)」と思ってしまいがちですね(笑)
私は、生徒さんと先生の側でお互いの思いがすれちがってしまう原因の一つに「目標(到達点)の共有がうまくいっていない」ことが挙げられると思っています。
目標(到達点)の共有がうまくいっていないとは例えばどういうことかというと、
新しく入門してきた生徒さん。
「ピアノが上手くなりたいです!!」と燃えるような気持ちで入門してきてくれて、とにかく「ピアノが上手くなるようにがんばろう」という目標を共有して意気込み、これからの未来を楽しみに描いていた先生と生徒さんでした。
さて、ここで2人の心の中にズームイン。2人がこの言葉をどう捉えていたかを具体的に見ていくと、、、
このように、上手くなりたい!の一言の中に含まれている意味合いは、もはや人それぞれ。
どっちも悪いわけではなく、それぞれが今まで自分が生きてきた中で知りうる限りの「上手くなりたい像」を明確に持っているのです。だけど、これはもう一歩突っ込んで生徒さんの話を聞いてみないとわかり得ない話ですよね。そして、生徒の側にしても、先生の考えていることは聞いてみないと理解できない。さらに先生の方が「未来」を予測できる力を持った上でお話ししていますので、もしかしたら生徒さんは先生の話を詳しく聞いても理解できないかもしれないのです。
さて、ここで私の体験談を1つお話しします。
私事で少し恥ずかしいのですが、私は、大人になってから超苦手だったスイミングを習いに行きました。泳ぐのは本当に苦手で、学生時代の体育の授業くらいじゃとてもついていけなかった私。そんな過去を踏まえて、集団指導だとついていけないと思っていたこともあり、ゆっくり自分のペースで教えてもらいたいなぁとマンツーマンのプライベートレッスンに乗り込んでみたのです。痩せるかもしれないし?とか、スイミングが趣味になったら素敵だなぁ、なんてスイートな妄想をしながらの、一世一代、大人の習い事です。
担当してくれたのは男の先生。いや~なんとなく、1対1、あまりにも泳げなくてちょっと恥ずかしいわけですが、とても丁寧に泳ぎ方を教えてもらいました。おかげさまで、昔はわからなかった泳ぎかたが、ちょっとわかってきた気がする!!こんな日々が続いていったら、1年後には私ももっと泳げるようになるに違いない!こんな先生が味方になってくれて本当によかったなぁ~~と満足度も高く、としばらくゆるりとレッスンに通ったのです。
しかし、ある日、私は先生から衝撃的な言葉を言われることになります。
もう、今にもプールの底に沈んでしまいそうなほどのショック。
なぜショックだったのでしょう。
私が思っていたことは、
「ただ、ゆっくりでいいから泳げるだけでいいのに、、、」「誰かと切磋琢磨したいわけじゃないのに、、、」「毎回同じことを言われるんでもいいから、自信持てるまで一緒に付き合ってほしかっただけなのに、、、」「毎日泳ぎに来るのは、プロになりたいわけでもないし時間的にも無理、、、」
そして、「ただ楽しく泳ぎたかっただけなのに、、、、、、、、、」
あれ?これはどっかで聞いたことのあるセリフのやりとりではないでしょうかね?
そうして自分がぽっかり取り残されて「何かを習いたいと思っても、目的を自分が思っていたのを違うところに設定されることがわかると、意気消沈しちゃうのかも、、、。」と、習う側としての私は思ったのです。そして、その後プールから足が遠のいてしまいました。
きっと私も、そのうち言うんだろうなぁ、あのセリフ。
「スイミング、続けてたらよかったなぁ~って今になったら思うんだよ」
でも、指導者としての立場に立てば、全部あの先生の気持ちがわかるのです。
あとは練習あるのみ | もちろんそうです!練習しないと上手くならない! |
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できれば毎日 | 励ましのつもりで、もはや無意識レベルで言ってしまうセリフ!わかる!それにこれは真実! |
切磋琢磨して | みんなと比べたらやる気になるよね!でも、それでやる気になるのは、得意だと思ってる人だけなのかもしれない。 |
クラスも上の方に上がっていく | もちろん絶対上達したいに決まってる!、、、でも"今の私"はただ、ゆっくり泳げたら、当面はそれでよかった。 |
いち学習者としては先生がすごく良い人だったこともわかる。熱心だったこともわかる。それでもついていけないと思ってしまう、私の居場所じゃなかったんだと思ってしまう。立場が違うだけでこんなに変わるのかということを実感して、心の中で苦笑いしたそんな出来事でした。
そして、このような経験を踏まえて、その後指導者としての私は「そのとき、その人が何をしたいと思っているのか」をこまめに聞くように、いつも心がけています。つまり、そのときのその人の「目標(到達点)」です。今どこに到達したいと思っているのか、そして今どのような状態でどのようなことを思っているのかについて、生徒さん本人からできるだけ具体的な言葉で出てくるまで、様々な角度から会話を続けていくようにしています。
このように生徒さんと会話を続けていくと、実は生徒さんの思い描いている目標が、こちら側では想像もつかないところにあったりすることがあります。
そして、それだけでなく、目標は常に変化し続けます。多くの人が誤解していますが、目標は変化し続けていいものなのです。人は、自分の想像の範囲を超えるものは目標にはできません。ですので、日々一歩ずつ進んでいく中で、当初聞いていた目標とは気づけば変化しているときもあります。ですので、先生の側としても、目標を一度聞いたら終わりではなく、対話を重ねて内容をアップグレードし続けていく必要があります。
もちろん、こうした話をするには、普段からの関係性がとても大事です。初対面の人になんでも自分のことをあけっぴろげに話せないものなのは、レッスンにおいても同じ。そして先生側も、どんなに経験値を積んでも、新しく出会った生徒さん(それがどんなに小さな子であっても)のことを出会ってすぐに全部わかるなんてことは難しいものです。レッスンを重ねるたびにどんなにたわいのない話でも、ピアノ以外のことであっても、会話をしていくと、その会話の中から生徒さんのいろんなことがわかってきます。
誰かの話を上手に聞くことは、上手に話すこと以上に難しいものです。ここで突然ですが、話を聞くことのプロは、どんなことに気をつけて話を聞いていると思いますか?
話を聞くことのプロであるカウンセラーの聞き方を学ぶことは、私たちがレッスンで生徒さんの話を聞く時にも大いに役立つものと考えています。もちろんカウンセラーのように全く同じように訓練された聞き方は難しいとしても、私たちの聞き方に大きなヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
アメリカの心理学者のカウンセリングの大家にカール・ロジャーズという人がいます。ロジャーズは自らのカウンセリングの経験から、"聴く"側の三要素として「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」の3つを挙げています。
相手の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとする。
相手の話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。相手の話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。そのことによって、話し手は安心して話ができる。
聴き手が相手に対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。
これを、ピアノのレッスンを行う私たちに当てはめてみると次のようなことが言えるのではないでしょうか。ただの置き換えになりますが、書かれてみると少し納得の度合いが増します。
生徒さんの話を、生徒さんの立場に立って、生徒さんの気持ちに共感しながら理解しようとする。
生徒さんの話を善悪の評価、好き嫌いの評価を入れずに聴く。生徒さんの話を否定せず、なぜそのように考えるようになったのか、その背景に肯定的な関心を持って聴く。そのことによって、生徒さんは安心して話ができる。
先生が生徒さんに対しても、自分に対しても真摯な態度で、話が分かりにくい時は分かりにくいことを伝え、真意を確認する。分からないことをそのままにしておくことは、自己一致に反する。
特に3.「自己一致」については理解するのが難しいかもしれませんが、少し噛み砕いてみますと、「生徒さんの言ってることで少しでもこちらが理解しにくいことや理解できないことがあったら、先生だからこんなこと聞いちゃだめだろうとか、生徒さんの言うことを全て無条件に受け入れなくてはならないと思わずに、こちらも生徒さんの言っていることの真意を理解できるまで、対話を続けていいんだよ」という風に捉えてよいのではないかと思います。
こうして適切なコミュニケーションにより、一緒に目標(到達点)を正しく共有できれば、先生も生徒さんも同じ方向を向く仲間となって、その目標(到達点)に向かって共に進んでいくことができます。
目的なくして手段なし。つまり目標(到達点)なくして、日々のレッスンで扱う内容は決まってはこないはず。叶えたい目的のためなら、生徒さんもたとえ"厳しい"レッスンでも、充実した"楽しい"レッスンになっていくのではないでしょうか。自分のやりたいことのためなら、その時持っていた実力以上のものを発揮してくれた瞬間を、私も指導者として何度もみてきました。
お互いに仲間となって信頼関係を築き上げられてからが、レッスンの真骨頂。先生の実力の見せ所です!「信じるものは救われる」じゃありませんが、信じられない人からは、どんなにありがたいアドバイスを言われても反発心ばかり生まれてしまうこともあります。とっても良い子で、一見言うことを聞いてくれている感じでも、心の奥底ではずっとモヤモヤしていて、ある日突然大爆発してしまったり。そんな経験は、意外に誰にでもあるのではないでしょうか。
適切なコミュニケーションをとることで生徒さんの「今の目標」を聞くこと、そして、生徒さんがそこに至るまでの紆余曲折を、時に導き、時に見守り、時に叱咤激励しながら共に向かって行けるレッスンができたらいいなぁと私自身も常に心がけています。日々、お互いの関係も、目標(到達点)もアップデートしていけるように、日頃から生徒さんの話を幅広く聞いてあげられる姿勢を心がけて、「レッスンに来るのが楽しい!だからピアノがますます楽しい!」となっていくといいなと願っています。