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生涯学習としての音楽活動(執筆:丸林実千代)

指導のいろは
生涯学習としての音楽活動

執筆:丸林実千代(日本女子大学)

生涯学習(lifelong-learning)という概念・術語は、今や日本人の日常に浸透していると言えるのではないでしょうか。現在は生涯学習という概念で市民権を得ていますが、当初は生涯教育(lifelong-education)としてその思想・理念は提唱されました。この思想・理念は1965年のユネスコ成人教育会議で、その議長であったP.ラングラン(Paul Lengrand)から提唱されました※1。つまり提唱から50年以上、そろそろ60年を迎えようとしています。
日本に生涯教育の思想・理念が紹介されたのは1967年とされています。当時は社会教育や成人教育の研究者の間で検討されていましたが、1980年代ごろから日本では行政が主導し生涯学習という術語で積極的に広められ、今日に至っています。

1.生涯音楽学習とは

ここ30年ほどの間に、生涯学習としての音楽活動に関する日本での論文や活動報告を目にすることがありました。それらには成人や高齢者などのピアノレッスンを研究対象としているものが少なくありません。そして成人や高齢者を対象とした大学の公開講座や、カルチャースクール、行政の提供する市民講座でのピアノレッスンが多く報告されています。また、自宅のピアノ教室で成人期以上の生徒と対象としたものもあります。このような状況を踏まえると、「成人や高齢者の音楽活動=生涯学習」という構造として、広く理解されてしまっていると考えられます。
しかし、本来の生涯学習の理念を本質的に検討すると、上記のような理解は表面的なものであると指摘しなくてはなりません。生涯教育(学習)の思想・理念の積極的な解釈が世界中で行われた1960年代後半~1970年代に、R.ハッチンス(Robert M. Huchins)は「学習社会論(The Learning Society)」※2を公表しました。ハッチンスの学習社会とは、「すべての成人男女に、いつでも定時制の成人教育を提供するだけでなく、学習、達成、人間的になることを目的とし、あらゆる制度がその目的の実現を志向するように価値の転換に成功した社会」のことです。そしてこの学習社会論の考え方と音楽活動について考察すると、まず音楽活動の目的は「人間らしくなる」ことに置かれます。そこでは人々が、人間存在の本質の一側面である音楽を享受・表現・創造することによって美的感情を形成し、また音楽美を追求することによって自己形成をすること、それ自体が「人間らしくなる」ことと同義とされます。生涯教育(学習)では、すべての人々が個々人のレベルや状況に応じて、自己開発し自己実現につなげることが目指され、人間の学習権を保障する極めて力強い理念を持っているのです。
そして学習社会論以外の生涯教育(学習)に関する学説※3を検討し、筆者は生涯音楽学習(Life-long Music Learning)という概念を1999年に発表させていただきました※4。つまり「生涯音楽学習とは、すべての人々が生涯にわたって、そしてあらゆる次元で行う、自由な音楽活動(音楽の享受・表現・創造)そのものを意味する概念であるとともに、その自由な音楽活動を権利として保障するための理念でもある。ここでは、人間が音・音楽との交流によって美的感情を形成し、そしてさらに音楽美を追求することは人間の自然な営みであるとする考えが根底となっている。」というものです。
そして音楽という活動領域は、生涯学習では「余暇(leisure)」に分類され論じられることが多いです。余暇はレジャーと訳され、レジャーと聞くと休暇、息抜き、気楽に楽しむ、気晴らしといったイメージを持つかもしれません。しかし余暇(leisure)とは、労働から解放された時間を有効に使い、自己開発、自己実現をすることを本来意味しています。したがって、余暇に分類される生涯音楽学習では、人々が音・音楽との交流を通して、主体性を獲得し、自己成長を遂げ、自己確立をし、自己実現をするといった要素が、その学習に含まれている必要があるのです。

2.音楽を学ぶとはいかなることか

筆者は生涯音楽学習を研究していく過程において、生涯学習の音楽活動と称して展開されている活動が、単なる楽しみのレベルでとらえられてしまっている状況を問題視するようになりました。人々が真剣に音楽と向き合っているにも関わらず「年寄りの暇つぶしだろう」、「暇な主婦の息抜きだろう」、「だからあのレベルでいいのよ」、「音楽的に下手でも生涯学習だからいいのでしょう」などの意見を耳にすることも少なくありませんでした。そこで筆者は、人々が展開している多様な音楽活動の中に、どのように「学習」の要素を見いだしていくのかを研究課題の中心に置くようになりました。
成人学習論の研究では、技術・方法を習得することが学習ととらえることは、すでに過去の考え方となっています。音楽活動の例をあげるならば、成人期や高齢期の方がピアノの講座に通い、以前よりも難しい楽曲が弾けるように技術が向上した、これこそが音楽の学びととらえる考え方です。しかしその後、学習論では認識論へのシフト、その延長線上での意識変容の学習※5などの理論が登場してきました。ここでは自己の活動などを振り返り、省察し、意識を変容させていく過程が取られます。その結果、学習者は主体性を獲得し、自己成長を遂げ、自己確立をし、自己実現をするのです。これらの理論から、生涯音楽学習では音楽を学ぶという概念が拡大されてきていると言えます。筆者はこの概念の拡大を、これまでに複数の事例から指摘してきました。

3.拡大された音楽学習の概念

ここでは以下にこれまで筆者が調査した事例からいくつか紹介したいと思います。なかでも自己を振り返り、省察し、意識を変容させ、その結果、学習者が主体性を獲得し、自己成長を遂げ、自己確立をしていると見られる音楽事例※6を取り上げます。

(1)意識的な振り返り(記述する)
調査1、シニアアンサンブルの機関誌分析※7から

全日本シニアアンサンブル連盟は、確認される限り全国最大のシニアアンサンブルの全国組織である。そこでは 年3回発行する機関誌『ひびきあい』を発行し、その中に「私と音楽」という会員による自己紹介的な随筆である。この随筆は、自分と音楽との出会いやこれまでの音楽活動を自由に記述したもので、内容も多様である。

【事例1】

(省略)丁度、私が小学校高学年になったころ、村の青年団がハーモニカの合奏団を作って(中略)盆踊りの夜、皆の前で披露するということを聞いた。私は恐る恐る父に「ハーモニカを買って合奏団に加わり、発表会に出たい」と話した。父は案外あっさり「よし買ってやるからよう(よく)練習せーよ(するんだよ)」と言って、ハーモニカを買ってくれた。(中略)発表会の当日は運動場に設えられた特設ステージでいろいろな余興が発表された。いよいよ最後に私たちの「軍艦マーチ」になった。(中略)両親は1番前で一生懸命聞いていた。私は少々ミスったが知らぬ顔で、兎に角演奏を終えることが出来てほっとした。よく見ると両手が汗だくになっていた。家に帰ると両親が、「小学生なのに上手に吹けた」とほめてくれた。
この1本のハーモニカとの出会いが、今日の私を作り上げたと思うと感無量である。「うまい。上手だ」と、いつもほめて力付けられた言葉を思い出して、これからの音楽活動に生かしていきたい。(S.I. 男性、Vol.40、2008年4月)(下線部-筆者)

この男性は、過去の成功体験が現在の自分を形成したことを記しています。そして「これからの音楽活動に生かしていきたい」と、今後の前向きな方向性へとつなげています。一般に意識変容の学習では、これまでの自己の考え方などを批判的にとらえ、価値観を問い直し、そこから新たな認識を持つようになる事例が多いです。しかしこの随筆のように成功体験を振り返り、それを再確認することで、さらに今後にプラスの方向づけを行うこともあるようです。これも過去を振り返り、「記述する」という行為によって改めて導き出された成果であり、これも音楽の学びととらえることが生涯音楽学習に求められると考えられます。

(2)潜在化している振り返り
調査2.シニアのアンサンブル団員へのインタビュー調査

筆者はインタビューの前にアンケート調査を実施しました。そこの設問の中に「この団体の演奏曲で好きな曲を3曲と、その好きな理由」の記述を依頼しました。「好きな理由」に過去のエピソードや、詳しい理由を記していた方にインタビューをした中から2つの事例を紹介します。

【事例2】Aさん(70代女性)

好きな曲に「シャボン玉」をあげていますよね?

この曲は母が好きで良く口ずさんでいたんです。この曲を聴くたびに母を思い出します。母は60歳手前で、癌で亡くなったんだけど、この「シャボン玉」をよく料理や裁縫をしながら口ずさんでいたわ。真面目で芯の強い母で、曲がったことが嫌いな人でね。私はもうとうに母の歳を越えっちゃったけど、この曲を聴くたびに胸がしめつけられたり、目頭が熱くなったりするのよ。……たまに母と今の自分を比べて、自分は母に恥ずかしくない人間になれたのか、きちんと毎日送れているのかと考えちゃったりねぇ。この歳になると周りでもどんどん亡くなるでしょ。寿命とか、死とか、命とかをよく考えるようになって……。母から命をもらったんだなぁと、この大切な命。この「シャボン玉」もそうだけど、これからも音楽と楽しく触れ合いながら、これからも前向きに生きていかなくっちゃと思います。(2018年2月27日インタビュー)(下線部-筆者)

この女性は「シャボン玉」の曲を「聴く」と亡くなった母のエピソードを思い出し、自分と母を比較するなど、自己を客観的に見つめ、反省のような発言をしています。そしてそこから色々なことに考えをめぐらし、次には音楽活動を含め、前向きに生きる意思と今後の態度についても述べています。こういったプラスへの意識変容も音楽の学びであるととらえられます。

【事例3】Bさん(70代男性)

このシニアアンサンブルでやっていて、何か曲にまつわるエピソードとかありますか?

ここでは童謡と唱歌ばかりやってますよね。まぁ、それもいいんだけど。私の技術だとこれくらいの曲がついていくのにいいのかな。でもですね、全国大会とかで他の団体の演奏を聴くでしょ?そうすると昔の歌謡曲とか演歌とかいいなぁと思いますね。あんな曲もやってみたいなぁって。(中略)
特に「いい日旅立ち」は聴くたびに何か胸に来ますね。あの曲を聴くたびに、必死に働いて、心に余裕がなかったこと、毎日の仕事に追われてプレッシャーに押しつぶされそうになっていた頃を思い出します。テレビだけでなく、街のいたるところから聴こえてきて。音楽を楽しむなんて余裕はなかったですね。前まではあまりこの曲に良い印象はなかったんですよ。辛かった昔を思い出すからね。
でも今となっては、あの頃の自分を懐かしくも思いますよ。あの頃の頑張りがあったから子どもも大学に行かせることができたし、今、平穏な暮らしがあるのもそのお陰だと思うように、この歳になってやっと思えるようになりましたかね。(中略)これからは、音楽、山登り、釣りなど好きなことをやって、人様に迷惑をかけないよう暮らしていきたいですね。(2018年3月6日インタビュー)(下線部―筆者)

この男性は自分のシニアアンサンブルで自分が演奏している曲ではなく、他団体の演奏を「聴いて」、過去の自分を振り返る様子を述べています。そこでは当時の仕事に邁進していた余裕のない自分を確認し、ある程度の時間の経過により、現在だからこそできる自己評価を与えています。そしてそこから、音楽活動を含む今後の生活の前向きな方向性を見出しています。これも音楽に関するプラスへの意識変容であり、これも音楽の学びの範疇に入るものと考えます。

おわりに

本稿では、生涯音楽学習の基本的な考え方や、音楽学習の概念拡大について事例を紹介しながら論じてきました。これまで日本では音楽活動を、歌唱・器楽・創作・鑑賞といった4域でとらえられることが基本となってきました。これは学校教育の原則となっている『学習指導要領』での音楽活動がこの4領域であることに強く影響を受けています。そしてそこでの技術の向上、知識の獲得、それに伴う美的情操の涵養がこれまでの音楽学習の成果と考えられてきました。
しかし、生涯学習の中に人々の様々な音楽活動を位置づけると、この4領域の範疇には含まれない「振り返り」という新たな音楽活動を指摘することができるのです。これに伴い新たな「音楽の学び」を見出すこともできます。つまり、意識の変容という学習成果にも音楽において重要な意味があるのです。音楽活動を生涯学習としてとらえる場合、今以上に「音楽の学び」を柔軟にとらえる必要性があると言えるでしょう。

注釈
  • ポール・ラングラン著、波多野完治訳『生涯教育入門』第一部、(財)全日本社会教育連合会、1984年
  • R.M.ハッチンス著、新井郁夫訳「ラーニング・ソサエティ」『現代のエスプリ』No.146、至文堂、1979年、pp.22-23
  • 例えば、E.フォール他著、国立教育研究所内フォール報告書検討委員会訳『未来の学習 Learning to be』第一法規出版、1975年。E.フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』紀伊国屋書店、1977年。D.レヴィンソン著、南博訳『ライフサイクルの心理学』(上・下)講談社学術文庫、1992年、など。
  • 丸林実千代『生涯音楽学習入門』音楽之友社、1999年
  • Cranton, P.: Understanding and Promoting Transformative Learning: A Guide for Educators of Adults, Jossey Bass, 2006
    Cranton, P.: Development as Transformative Learning: New Perspectives for Teachers of Adults (Jossey Bass Higher & Adult Education Series),1996
    Mezirow, J.: Fostering Critical Reflection in Adulthood: A Guide to Transformative and Emancipatory Learning (Jossey Bass Higher & Adult Education Series) ,1990
    Mezirow, J.: Transformative Dimensions of Adult Learning (Jossey Bass Higher & Adult Education Series),1991
    Mezirow, J.: Learning as Transformation: Critical Perspectives on a Theory in Progress (Jossey Bass Higher & Adult Education Series),2000
  • 今回紹介する調査については、拙稿「高齢期の音楽活動者の音楽生活の振り返り―生涯音楽学習における新たな活動形態の提案―」『日本生涯教育学会論集』第40号、pp.23-32、日本生涯教育学会、2019年に詳しく記述してある。
  • 分析対象としたのは2004年(創刊号)から2018年までの全56編である。今回は紙幅の都合から1事例のみを取り上げる。
丸林実千代
日本女子大学・大学院准教授。武蔵野音楽大学、同大学院修了(芸術学修士)。山形大学・大学院の准教授を経て現職。研究テーマの1つに「音楽分野における生涯学習」を取り上げている。主な業績は『生涯音楽学習入門』(単著・音楽之友社)、『音楽教育の理論と実践』(単訳書・音楽之友社)、『子どもと音楽創造』(単訳書・開成出版)などがある。
指導のいろは
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