ピティナ・指導者ライセンス
X
youtube

レッスンづくり(執筆:甲斐万里子)

指導のいろは
レッスンづくり

執筆:甲斐万里子

ピアニストのみなさんは、指導者のレッスンを振り返った時、ご自身が受けてきたレッスンとよく似ているとか、指導者とよく似た言い回しをしていることに気づくことはないでしょうか。最近では、ピアニストを目指す学習者に向けた公開レッスンやレッスンそのものを放送するテレビ番組などもあり、他者のレッスンを見られる機会も、以前に比べると多くなりました。とはいえ、基本的には、他者のレッスンを間近で見学できるような機会は、日本ではそうそうないというのが現状かと思います。特に、音大生のような、ピアノを教える立場になっていくだろうピアニスト同士のレッスンの場合、師事している指導者とは別の指導者のレッスンを見に行ったり、受けたりすることに、どこか罪悪感を抱いたり、タブーに感じたりして控えているという話を聞くこともあります。

外からはなかなか知ることができない、閉ざされた空間であるからこそ、指導者それぞれが個性を発揮しやすい面もあるのでしょう。そして、その個性が色濃く反映された、多彩で多様なピアニストを生み出すことにつながっているのも間違いないのでしょう。こうした「師弟間」での、ある種限定的な教授-学習の形がピアニストの育成に功を奏している部分があるのは、みなさんによって、周知の事実かもしれません。

ただ、筆者がこれまでインタビューしてきたピアニストの多くが、指導する立場になった時に、ご自身と異なるタイプの生徒に直面し、指導方法に戸惑うことが多いのだと話してくれました。多様な生徒を前に、もっと別のアプローチが良いのではないかとか、自身の行っている指導が生徒にどのような受け止められ方をするのか、といったことを客観的に知りたいというピアニストの欲求に触れてきました。そこで今回は、まず、レッスンがピアニストに与える影響について簡単にまとめた上で、これまで寄せられることの多かった話題から、「レッスンでの言葉」と「複数の指導者への師事」に重点を置いて説明してみたいと思います。

YouTubeメンバーシップでの閲覧はこちら
1.レッスンの影響
学ぶ姿勢

先に述べたように、基本的には1対1で行われることの多いピアノレッスンにおいては、指導者から学習者への影響というのが、かなり大きいものであることは想像に難くないでしょう。1人の指導者に師事することの影響については、指導者の音楽観や指導上の理念、演奏家としてのあり方等が受け継がれるのだと言われています。例えば、ピアニストである指導者自身の演奏解釈やそれに基づく表現に触れることで、学習者は、自分ならどうするか、どうできるかを考えることに繋がります(国府 2005)。また、指導者が言語的なコミュニケーションや模範演奏を使い分けることで、指導内容を効果的に伝えるだけでなく、作品を解釈するための方法や、表現を決めるために、学習者自らが作品の構成や構造を知り、作曲された背景にある文化や精神を様々な文献から読み取っていくような姿勢も伝わるとされています(山下 2011)。

判断力の習得

これらの知見から考えると、レッスンは、作品を研究し、妥当だと思える表現を学習者が1人で生み出せる域、つまり、それぞれの個性を妥当な表現として奏でられる域に達するための研究の方法や視点を学ぶ場だという見方ができます。よく、学習中の作品が十分に演奏できている場合に「合格」として新たな作品に取り組むと思いますが、この「合格」か否か、つまり妥当な演奏であるかどうかを、ある程度学習者が自分自身で判断できる力を身につけさせていくという意識は、指導者にとって大事かもしれません。

2.レッスンにおける言葉
言葉の導く「先」

レッスンでの言葉は、指導者によって独特であることが多く、その独特な言い回しや説明の仕方に、どのような効果があるのかといった関心から、これまで様々な切り口から研究されてきました。一見、何を指摘されているのかが判然としない比喩を用いた指導が、一貫して作品の重要な構造を理解させるものであるとする論考(甲斐 2012)や、指導者の言葉を通して学習者が教養を身につけることが、その後の独自の演奏表現を生み出す試行錯誤に生きる(後藤 2019)といった論考があります。

これらのように、レッスンにおいて極めて重要な役割を担う言葉ですが、読者のみなさんが学習者だった頃のレッスンを思い返すと、「今回の演奏には自信があるぞ」と意気込んでレッスンにいったものの、指導者から「ちがう」「そうじゃない」と、一刀両断され、途方に暮れた経験はないでしょうか。今となっては、その先の深い理解に導くために、敢えて否定していたという指導者の真意を理解できる方が大半だと思います。

「楽譜通りに演奏できれば良い訳ではないし、楽譜の記号を一問一答のように表現に結びつけるだけでなく、その記号の意味することを解釈していくプロセスが大切なのだ」、「しかも、こうしたことを学習者自身で気づいて欲しいし、言葉で伝えるだけなら簡単だが、音色や表現の違いを聴きとって違いに気づけなければ意味がない」、そんな声が聞こえてきそうです。だからこそ、一見否定されるばかりだった「師匠」のレッスンと同じように指導することこそが重要だという考え方もできるでしょう。

「マイナス」作用

ところが、近年のピアノ学習者が、ピアノを辞めてしまう要因の一つに、「習熟効率の悪さ」があるという指摘があります(松井ら 2022)。学習者は、次のレッスンまでに、自身の演奏の誤りや指摘された箇所を修正するために、毎日どれくらいの練習時間が必要なのか目処が立たないことにフラストレーションをかかえるようです。子どもの場合には、家庭での練習が苦痛で挫折する子どもも少なくないようです(奥村 2010)。また、家庭での練習を強要させたくない親が増え、楽しく学べることを最も重視する傾向にあるという指摘もあります(小畑 2009)。

確かに、練習に関して言えば、時間をかけたからといって必ずしも適切な修正に向かわない効率の悪さは否定できません。こうした風潮を踏まえると、一見否定的な言葉をもって気づきを促すような、「ツンデレ」ならぬ「ツン」指導は、ある程度ピアニストとして熟達している学習者や、効率的ではないピアノの練習を楽しめる学習者でない場合には、難しいかもしれません。

楽しんで学ぶことに慣れた学習者が、なんとか苦痛な練習を乗り越えた矢先に、その練習成果を否定されてしまっては、学習者が受けるネガティブなインパクトの大きさは想像するに余りあり、辞める方向へと向かわせるのも頷けます。

これらを踏まえると、学習者と十分にコミュニケーションをとり、学習者のタイプや学習の目的等を見極めながら、指導の内容や方向を丁寧に工夫することが求められていると言えるでしょう。技術や技能の習得に伴って練習を効率化していく工夫や、練習することで何ができるようになるのか見通しを示したり、学習段階によっては、ある程度必要な時間を示したりと、学習者のニーズに寄り添う姿勢も必要かもしれません。

3.複数の指導者への師事
第4(独自)の表現へ

複数の指導者に師事したいと学習者から相談を受けて、返答に迷うといったピアニストに出会うことがあります。筆者は、以前行った研究で、1人の若手のピアニストが3名の指導者に同じ作品の指導を受けた時の影響を検討しました(甲斐 2017)。この研究では、対象ピアニストの演奏に技術面で課題が残る場合には3名ともから同じ指摘を受けていましたが、解釈面では、指導者によって真逆とも言える指導を受けることがありました。ここで注目したいのが、3者の指導が異なることではなく、同じ部分に対して指摘されたということです。つまり、指導の方向は3名それぞれで異なるものの、3名ともが、特定の部分に違和感を抱いたということが重要なのです。

こうした時に、対象ピアニストは、なぜ3者の指導の方向が異なるのかを考え、それぞれの指導者との過去のレッスンを振り返るなどしながら、該当部分の課題の本質に迫り、3者それぞれが具体的に示した演奏表現をただ真似るでもなく、第4の表現を生み出すに至りました。

創造的問題解決

この研究から考えると、同時に複数の指導者に師事する利点は、様々な意見や解釈に触れることで、それぞれの解釈の過程や根拠を言葉や模範演奏から学び取れる点にあります。それぞれの解への導き方を理解することで、学習者自身が独自の表現を生み出そうと解釈を深める意欲につながり、新たな課題の発見を経て、独自の表現に到達するきっかけになり得ます。こうした利点がある反面、異なる指導を受けた時に、具体的な模範演奏や解釈を聞き、その都度、それぞれの真意を理解することなく、部分的に模倣するような場合には、一方の指導者には妥当だと評価され、もう一方では納得が得られないことを繰り返すことも考えられ、学習者の混乱を招きかねません。ピアノ演奏は、ピアニスト自身が課題を見つけ、独自の解を見つけて表現する営みです。こうした営みは「創造的問題解決」と言われます(大浦 2000)が、この、独自の課題を見つけ、独自の解、つまりは理想とする音色や表現ですが、その音色をイメージし、演奏表現に結びつける力がある程度備わっている場合には、複数の指導者に師事するのも有効だという見方ができるでしょう。

ダブルレッスン制

大学レベルでは、演奏家を目指す学生が、「ダブルレッスン制」のもと、2人の指導者に師事して研鑽を積むカリキュラムを敷いている音楽大学(上野学園大学HP)や、「演奏学」として、「学問と実践を包括的に捉える能力の向上」を目的としたカリキュラムで、常に複数の教員の指導が受けられる大学もあり(お茶の水女子大学HP)、教育的な有効性への確信が窺えます。

ですから、「他の先生のところで学んではならない」という考えに縛られすぎるのも考えものです。「創造的問題解決」を1つの視点として、複数の指導者への師事が、その生徒にとってプラスに働くかどうかを検討するのも手でしょう。

おわりに

ヨーロッパに留学経験のあるピアニストにレッスン事情を聞くと、友人のレッスンの見学や、別の指導者の元で学ぶことに寛容な風潮だとよく話されます。自身が受けてきたレッスンの良さを伝えたい、そんな思いがどうしても前面に出がちですが、レッスンに向けられる多様なニーズや近年の動向を踏まえると、柔軟な対応や引き出しの多さも、魅力的なレッスンづくりの大事な要素と見て良いでしょう。

練習の効率化の話をしましたが、近年では、初学者へのレッスンを想定した「課題曲合格時期予測システム」なる開発が進められていたり(松井ら2022)、大人を対象とした音楽教室、特に数ヶ月で完結する形の短期レッスンが人気だったりするのを見ると、ピアノの人気自体が下火になっているわけではなさそうです。1980年以降のピアノの生産台数の低下、一軒家からマンション世帯の増加という住宅事情の変化等の影響による電子ピアノの普及など、近年のピアノを取り巻く様々な事情を考えると、昔ながらのレッスンや練習の習慣を前提としすぎず、多様な学習者のニーズやタイプに寄り添うことが求められているのかもしれません。

参考文献
  • 小畑千尋(2009)「お稽古ごと教室の現場から-ピアノレッスンの現在-」『児童心理』第63巻、 第3号、 金子書房、 pp. 82-87.
  • 奥村直子(2009)「ピアノを弾きたいという動機形成は如何にしてなされるのか-『正統的周辺参加論』の視点を参考にして-」『教育方法学会研究』第35巻、 pp. 35-45.
  • 甲斐万里子(2012)「ピアノのレッスンにおける比喩を用いた指導の可能性 : アルフレッド・コルトーのレッスンを対象に」『音楽教育研究ジャーナル』第37巻、 pp. 37-42.
  • 甲斐万里子(2017)『ピアニストの熟達化過程-省察内容、演奏表現、レッスンに着目した縦断的な検討を通して-』東京藝術大学大学院博士論文甲第862号.
  • 国府華子(2005)『レオニード・クロイツァーのピアノ教育 : その理論と日本の弟子に残したもの』東京藝術大学大学院博士論文甲第224号.
  • 後藤友香理(2019)「指導言語に見るピアノ指導者の特徴 : ―ゴールドベルク山根美代子のレッスンに着目して―」『東京音楽大学大学院博士後期課程 2018年度博士共同研究A報告書《モデル×変容》』pp. 63-75.
  • 松井遼太・竹川佳成・平田圭二・柳沢豊(2022)「ピアノ学習における課題曲合格時期予測システムの構築」『情報処理学会論文誌』vol. 53、 No. 3、 pp. 761-772.
  • 山下薫子(2011)「音楽教育者としての園田高弘」『東京藝術大学音楽学部紀要』第37巻、 pp. 171-185.
  • 上野学園大学ホームページ:https://www.uenogakuen.ac.jp/university/aboutus/department/musician.html(2022年10月9日最終閲覧)
  • お茶の水女子大学ホームページ:https://www.li.ocha.ac.jp/ug/geijutsu/ongaku/coursemenu/curriculum.html(2022年10月9日最終閲覧)
甲斐万里子
和洋女子大学人文学部こども発達学科准教授。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程および博士課程修了(博士(音楽学))。レッスン研究,特に,ピアニストの熟達化を専門とする。これまで,上野学園大学音楽学部音楽学科グローバル教養コース(音楽教育)等で教員養成に従事。共著書に『新版 中学校・高等学校教員養成課程 音楽科教育法』(教育芸術者,2019),『コンパス 音楽表現』(建帛社, 2020)等がある。日本音楽教育学会,日本音楽学会,日本音楽知覚認知学会会員。
指導のいろは
【広告】