ピアノ演奏史(執筆:高橋舞)
執筆:高橋 舞
この連載を読んでくださっている方々のお好きなピアニストは、どのような演奏スタイルのピアニストでしょうか。古い巨匠の録音や、現在活躍中の若手ピアニストの演奏から受ける印象は、それぞれ異なります。そうした違いはどこから生じるのか、今回は「ピアノ演奏史」というテーマのもと、演奏はどのように形作られ、また変化してきたのかを、考えてみたいと思います。
エジソンによって、1877年にフォノグラフが発明されるまで、演奏を記録し、もう一度聴くことは出来ませんでした。演奏とは一度限りの、まさに一期一会の芸術だったのです。その一度限りのはずの演奏を記録でき、何度でも再生して聴くことができる――録音技術の登場は、演奏のあり方そのものを変える影響力を持っていました。
初期の録音技術は、音声の空気振動を直接機械的に録音、再生するアコースティック方式を採っていました(谷口、中川、福田 2015、102)。アコースティック方式は音質が良いとはいえず、ピアニストにはあまり普及しませんでした。20世紀に入って電気式の録音技術の開発が始まり、1920年代に実用化されると、以降音楽産業の主流は楽譜販売から録音済みレコードの販売へと変化します(谷口、中川、福田 2015、82)。
電気式録音が普及される以前、一般の人々が音楽を聴く機会は限られていたでしょう。そうした時代に、音楽家にとって最も重要な仕事は、音楽を効果的に伝え、作品のなかで起こっていることを、明確に示すことでした(Philip 2004, 2)。そして、「一度の聴取で、聴衆に意味のある物語を理解してもらえるような方法で伝えようとする」(Philip 2004, 12)ことが、録音が普及する以前の演奏のあり方だったのです。ところが録音が普及すると、繰り返し演奏を聴き、他の演奏家と比較することも出来るようになります。演奏家自身も自分の録音を聴き、他の奏者の録音を聴くことができるようになったのです。フィリップは、録音が普及したことで、演奏スタイルのグローバル化および均質化が進んだと主張しています(Philip 2004, 22)。
もちろん演奏のあり方が変化した理由として、第一次世界大戦を機に社会が変化し、文化のあり方が大きく変化したことも挙げられるでしょう。ストラヴィンスキーは、ロマン的な演奏こそが、音楽作品と聴衆の間の伝達を妨げると断罪し(Cook 2014, 219)、作曲家たちは演奏者を必要としない、自動演奏楽器のための作品を次々に生み出しました(沼野2021、47)。飛行機での移動が容易になり、音楽教育が国際化されたこと(Philip 2004, 22)も、理由の一つかもしれません。録音が普及したことも含め、様々な要因が複合的に絡み合い、演奏のあり方は変化してきました。
では、録音技術が普及する前の演奏のあり方とは、どのようなものだったのでしょうか。アコースティック方式ではピアノ演奏の録音は普及しませんでしたが、電気式録音が普及する以前には、ピアノ・ロールと呼ばれる自動演奏ピアノが一世を風靡します。これは、1905年にドイツの楽器メーカーであるウェルテ社が〈ウェルテ・ミニョン(Welte-Mignon)〉という商標名で売り出した自動演奏ピアノで、家庭で巨匠の演奏を楽しむことができるというものでした(渡辺1997、155-156)。ピアニストが演奏すると、一音一音のタイミング、強弱、ペダルの使用等がロール紙に記録され、その記録されたマークに対応してロールに穴を開け、再生時にはハンマーを作動させる空気圧機構が演奏を再現するという仕組みです(Philip 2004:30)。名だたるピアニストが、ピアノ・ロールに録音を残しています。
ピアノ・ロールや、1920年代の初期の電気式録音に残された演奏から、録音が普及する以前の演奏のあり方を知ることができます。ピアノ・ロールを現代のピアノで再生したものがCD化されているので、聴いたことのある方も多いのではないでしょうか。こうした初期の録音は、19世紀の演奏のあり方を色濃く残しており、また19世紀の演奏のあり方については、チェルニー、クッラク、リュシー、リーマン等のピアノ演奏理論書からも、その考え方を知ることができます。そのなかでも、ベートーヴェンの弟子で、リストら多くの弟子を育成したチェルニーによる、全4巻からなる『完全なる理論的=実践的ピアノ教程(Vollständige theoretisch-practische Pianoforte-Schule)』(1839年)は、第3巻の「演奏について(Von dem Vortrage)」に演奏や指導の真髄がまとめられていて、邦訳もあります(岡田暁生翻訳『ツェルニー ピアノ演奏の基礎』)。演奏という行為の本質が明快にまとめられており、現代の演奏者、指導者にとっても、非常に意義のある内容だと思います。
チェルニーは、いかに「作曲家の意図」を楽譜から読み取るかということを重視していました。初期の録音の特徴といえば、大胆なテンポの揺れが生み出す、演奏家それぞれの個性が濃縮された表現とでもいえばいいでしょうか。それらは現在の基準では多少極端に感じるとしても、「珠玉の芸術作品を歪めた」とするには、魅力的でむしろ作品の本質を浮かび上がらせるような録音も少なくありません。こうした演奏の本質をなしているのは、楽譜には直接記載されていない作曲家の意図を演奏者が読み取り、それを大胆に表現しているということなのではないでしょうか。
録音が普及すると、ストラヴィンスキーが主張していたように、演奏家独自の解釈をできる限り抑え、作曲家の意図のみを忠実に表現しようとする「新即物主義」、あるいはフレーズの始まりでより速く・強く、終わりでより遅く・弱くなる「フレーズ・アーチング」(Cook 2014, 176-223)という演奏スタイルが台頭するようになります。録音が普及して以降の演奏、録音を、当時の人々はどのように受け止めたのでしょうか。
バッハの《半音階的幻想曲とフーガ》BWV903のピアノ・ロールとして残されたブゾーニ(1912年)、バックハウス(1919年以降)の録音(図1)と、フィッシャー(1931年)、アラウ(1945年)の録音(図2)から拍ごとの変化を可視化しました。ブゾーニ、バックハウスの録音は拍ごとの変化が大きく、それと比較すると、フィッシャーとアラウは変化が小さいことが分かります。この可視化から、演奏のさまざまな面を浮き彫りにできるわけではありませんが、演奏のあり方が変化したことは直感的にご理解いただけるのではないでしょうか。
それでは、録音技術が普及して以降は、演奏のあり方に変化は起こらなかったのでしょうか。それを調べるために、先程と同様、テンポの揺らし具合を元に検証しました。ピアニストが用いることができるツールとしては、音の色彩感、フレーズを形作るテンポ運び、特定の声部へのフォーカス、一瞬のため等々、数限りない表現方法が存在します。そのなかで、定量的な分析を行うためには、数値化しやすく、客観的な比較が行えるものに着目する必要があります。そこで、演奏者の個性や違いを研究する際に最も調査されている「速度」(Zhou and Fabian 2019)にフォーカスを当て、速度をどれくらい揺らしているかという、大域的な変化の度合を測る指標として速度偏差を計算し、可視化します。
図3は、同じ《半音階的幻想曲とフーガ》の34種類の録音データを、一つの点で表したものです。録音が一つの点になってしまうのですから、演奏をただの点に圧縮することなど出来ないと思われる方もいらっしゃると思いますが、テンポをどれくらい揺らしているのかに絞って一つの点で表すことで、複数の録音データを客観的に比較することが出来ます。
これを見ると、やはり1910年代のブゾーニ(図中1)とバックハウス(図中2)の録音は圧倒的に速度偏差が大きいことが分かります。フィッシャー(図中5)とアラウ(図中8)は、1、2と比べれば速度偏差は小さく、それ程テンポを揺らしていないといえますが、1960年代以降には、さらに速度偏差の小さい録音があることが分かります。このことは、技術革新や世界大戦といったパラダイムシフトを促すような出来事があっても、演奏のあり方がその直後に変化するわけではないことを表しているともいえそうです。
こうして比較してゆくと、録音の普及直後の1930年代から50年代は、普及以前と比較すれば速度偏差は小さいですが、速度偏差の比較的大きい緑丸が多く赤丸が無いことからまだ普及以前の演奏のあり方が残っていたといえそうです。1960年代から90年代までは、速度偏差の小さい赤丸の録音が増え、2000年代になると再び緑丸の録音が増えてきたように見えます。
バッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番の前奏曲とフーガでも、同様に速度偏差を計算し、48種類の録音データを可視化しました(図4、5)。若干のばらつきはありますが、1960年代から90年代に赤丸の録音が多くなり、2000年代以降に速度偏差の大きい青丸の録音が増えるというのは同じでした。こうした変化が何を示しているのか、ここでは論じる余裕はありませんが、21世紀に入ってまた速度偏差の大きい録音が複数出てきたことは、興味深いことだと思います。
バッハ作品以外のデータがないので、断定的に述べることは出来ませんが、演奏のあり方は年代によって変化してきているということはいえそうです。私たちはともすれば、独創的なスタイルの天才的な演奏家がいて、そうした影響力の強い演奏家の演奏を真似ることで、演奏が変化してゆく――もし演奏が変化するとしたら、そういうことなのではないかと考えるのではないでしょうか。しかし、この3つの図を見る限り、年代によって変化していることが分かります。
演奏とは、先生から弟子へと口頭伝承的に受け継がれてきたもの、それから演奏者本人の個性があり、先生以外からのさまざまな影響があり、さらに意識はされないにせよ、実は年代ごとの流行というものも存在し、そういったものが絡み合って成り立っているといえます。演奏者の個性や、その作品のあるべき解釈(という普遍的なものがあったとして)を超えて、年代によって演奏のあり方が変化してゆくということは、不思議なような気もします。しかし演奏は社会を映す鏡であり、その時代の社会や文化の影響を受けるのは当然のことなのではないでしょうか。
幸いなことに、古い年代の録音から最新のものまで、インターネット経由で簡単に入手することのできる時代です。ピアノ・ロールをCD化したものも多数あり、現在とは異なる演奏のあり方にも、すぐに触れることができます。さまざまな年代の録音に簡単にアクセスできるということ自体が、連綿と続いてきたピアノ演奏史のなかでも初めてのことであり、そうした変化が現代の演奏のあり方に影響を与えていることは想像に難くありません。
普段録音を聴かれるとき、その年代について、どれくらい意識されているでしょうか。演奏や指導をされるときに、さまざまな年代の録音を知ることで、思ってもみなかったイメージや考えが湧くこともあるかもしれません。ぜひ積極的に幅広い年代の録音に触れ、演奏のあり方の変遷に対する、お一人お一人の見解を持っていただければと思います。
- ツェルニー,カール.(1839)2010.『ピアノ演奏の基礎』.(Von dem Vortrage: dritter Teil aus Vollständige theoretisch-practische Pianoforte-Schule Op. 500).岡田暁生訳.春秋社.
- Cook, Nicholas. 2014. Beyond the Score: Music as Performance. Oxford: Oxford University Press. ・沼野雄司.2021.『現代音楽史――闘争しつづける芸術のゆくえ』中公新書.
- Philip, Robert. 2004. Performing Music in the Age of Recording. New Haven: Yale University Press.
- 高橋舞. 2022. 「録音分析に基づく演奏様式の検証――バッハ鍵盤作品における「修辞学的演奏様式」の変遷」.『文化資源学』20 : 5-23頁.
- Takahashi, Mai, Kobayashi, Michikazu, and Ikki Ohmukai. "Characterizing playing style with speed deviation.", Digital Humanities 2022 Conference Abstracts: 692-695.
- 谷口文和・中川克志・福田裕大.2015.『音響メディア史』.ナカニシヤ出版.
- 渡辺裕.1997.『音楽機会劇場』.新書館.
- Zhou, Danny Quan, and Dorottya Fabian. 2021. "A Three-Dimensional Model for Evaluating Individual Differences in Tempo and Tempo Variation in Musical Performance." Musicae Scientiae 25(2): 252–267. doi: https://doi.org/10.1177/1029864919873124.